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金子達仁氏 負けていたのに「なぜ、行かない?」

[ 2022年3月30日 06:15 ]

W杯アジア最終予選B組   日本1-1ベトナム ( 2022年3月30日    埼玉 )

<日本・ベトナム>試合後、イレブンに話をする森保監督(右)=撮影・小海途 良幹
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 戦術とは、フォーメーションとは、何のためにあるのだろう。

 わたしは、勝つため、だと思っていた。あるいは、少しでも状況を自分たちに有利なものにするため。言ってみれば、目的を遂行するための手段だと思っていた。

 そういう考え方の人間からすると、この日の日本の戦いぶりは、正直なところ理解不能だった。

 メンバーが大幅に入れ替わった。コンビネーションの面でズレや粗さが出るのは仕方がない。セットプレーから失点を許したのも、やむを得ないことだったとしよう。個人的には、GK川島にキャッチするなり弾(はじ)き出すなりしてもらいたかったが、久しぶりの出場だったということで目をつぶる。

 我慢がならなかったのは、その後の戦いぶりだった。

 なぜ、行かない?

 サッカーにおいて「行く」ということは、ボール保持者を後方から追い越していく動きを増やすこと、だとわたしは認識している。自陣を手薄にするリスクを承知の上で、相手からするとつかまえにくい存在に自分がなる。マークする選手に加え、突っ込んでくる選手が視界に入れば、当然守りは厳しくなる。そういう状況をつくり出すことが「行く」ということだと思っていた。

 だが、ホーム最終戦で、グループ最下位のチームに先制点を許すという大失態のあとも、日本の選手たちは忠実に自分の立ち位置を守り続けた。先のオーストラリア戦で田中や守田が再三見せていた「行く」姿勢を、この日の選手たちはまったく見せようとしなかった。まるでリードを奪われたことを忘れたかのように、殺気の感じられないプレーを繰り返した。

 日本にとって幸いだったのは、「行く」というのがどういうことかを理解する男が、キャプテンマークを巻いていたことだった。情けなかったのは、彼が意を決して攻撃参加を敢行するまで、誰一人としてリスクを取ろうとしなかったことだった。

 わたしは、日本選手の技量はW杯ベスト8以上を狙える水準に達していると信じている。ただ、決定的に足りていないところもあって、それは個人個人が状況で判断する力、だと思っている。良くも悪くもベンチの指示や与えられた戦術に縛られてしまい、想定外の事態が起きた時には極端なまでの脆(もろ)さを露呈してしまう。

 だから、すでに本大会出場が決まり、重圧なく戦えるこの試合ぐらいは、先に失点を喫するという想定外の事態にフィールドの選手たちが順次適応していく姿を見たかった。試合途中でやり方を変えて、ベトナムをパニックに追い込む日本を見たかった。

 だが、最後はずいぶんと追い込まれはしたものの、ベトナムの選手たちがパニックの波にのみ込まれることはついになかった。中国に比べればはるかに勇敢なその戦いぶりと、日本で勝ち点をもぎ取ったという事実は、今後、彼らを大きく飛躍させることになるかもしれない。

 ともあれ、波瀾(はらん)万丈だった最終予選は終わった。最後の最後に思いっきりミソをつけてしまったが、収穫と課題、どちらもたっぷりと見つけることはできた。

 最終予選全体を通じてのMVPは、やはり伊東か。まさか、彼の名前をあげることになるなど、1年前のわたしはまったく予想していなかった。同じような驚きが、本大会でも起きてくれることを祈りたい。(スポーツライター)

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2022年3月30日のニュース