サッカー日本代表の“新星”DF冨安健洋、成長の背景にあるものとは
2020 THE STORY 飛躍の秘密
今月サッカー日本代表デビューを果たした新星は、いかにしてサッカーに出合い、育ってきたのか。12日の親善試合パナマ戦で、センターバックでは93年のJリーグ創設以来初めてとなる10代デビューを果たしたDF冨安健洋(19=シントトロイデン)。20年東京五輪の主軸として見込まれる19歳は、昔からとにかく足が速く、そして謙虚だった。長所を伸ばした指導者たちの声から、成長の背景を追った。
マンションの通路を走っていなかったら、それも全速力で走っていなかったら、冨安はサッカー選手になっていなかったかもしれない。
福岡市の少年サッカーチーム、三筑(さんちく)キッカーズ総監督の辻寛二氏(67)はその時、たまたま教え子の父母に会うために、冨安が住むマンションを訪ねていた。ドアの前にある幅1・5メートルほどの通路を、目を見張るスピードで走り抜けていく小学生がいた。「今まで見たこともない走り方だった。風みたいなやつやなと」。走り去っていく脚を見ると、太い。「こりゃひょっとしたら身長が伸びるな」と予感もした。
冨安には姉が2人いる。姉たちはスイミングスクールに通っていた。小1の冨安も習いに行く予定だった。ところが、室内でランニングマシンに乗っている時に、転んで口元にケガをしてしまう。しばらく水には入れなくなった。辻氏が冨安の知り合いの父母に「あの子を何とかキッカーズに入れてくれん?」とお願いしチームに誘うことに成功したのは、そんなタイミングが重なったときのことだった。
三筑キッカーズは、冨安の母校、三筑小学校を練習拠点にしている。27年前に辻氏が立ち上げたチームで、公民館のサークル活動の一環のため、練習は週に3日。それも一日に1時間と短い。それでも辻氏は年月をかけて九州各地に人脈をつくり、冨安が通うころには年に200〜300試合もの試合を土日にこなすチームになっていた。
冨安はとにかく足の速い子だった。「ドリブルさせたら、恐らく福岡県で彼に追いつける足を持っている子はいなかった。そりゃもう、恐ろしいくらい速かった」と辻氏。だからこそ、ポジションにも工夫を凝らした。
「目立たないところに置いておいた方が目立つ」とMFやDFに配置。冨安がボールを持つと、前線の選手が代わりに中盤へと下がる。その間を猛スピードで駆け上がり、シュートを決めた。役割はまさに“自由”。「あの子何年生?」。辻氏は、他のチームの人からよく聞かれた。
練習のない時は、近所の公園に「練習行きよったみたい」と辻氏は言う。「みたい」と言うのは、見たことがないからだ。練習量が「半端ない」ことは感じていたが、人前では努力を全く見せなかった。練習にはいつも一番早く来て、準備を手伝った。帰っていくのも、片付けを見届けてから、いつも最後。小学校の卒業文集には、こんな将来の夢を記した。「プロサッカー選手になって、お母さんとお父さんにおうちを建ててあげたい」
中学生になった冨安について、アビスパ福岡ジュニアユース監督(当時)として指導した藤崎義孝現育成普及部アカデミーダイレクター(43)はこう振り返る。「タケだけは、僕が育てた感覚が全くないんです」。同じ指導をしていても、苦労して育てたという感覚を持つ選手もいる。冨安は、どんな時も感情を乱すことなく、黙々と努力し続ける子だった。「(ヒントを)言えば、ずーっとそれをやっている。淡々と、淡々と、ずっとやり続ける」。14歳の時には1つ上のU―15でプレー。年代別の日本代表にも選出された。
才能があれば、天狗(てんぐ)になってもおかしくない年ごろのこと。あまりに朴訥(ぼくとつ)としているため「もっと“俺が、俺が”ってガツガツした野心を持ったら?」と声を掛けたこともあった。
ジュニアユース時代は3学年ともキャプテン。輪の中心にいるわけでも、個性の立つ性格でもない。感情を爆発させるような熱さや、強いリーダーシップがあるわけでもない。それでもなぜか「タケが言うんだから、やろうか」と周囲が自然についていくような存在だった。
ポジションは、三筑キッカーズ時代とはまた違う理由でボランチになった。何より体が大きく、足が速い。加入前のセレクション時には、将来像としてブラジル代表の超攻撃的なサイドバック、ダニエウ・アウベスの名も挙がったほど。もちろん優れたサイドバックになりうる素質はあった。それでも藤崎氏はあえてボランチに充てた。サイドバックやセンターバックは、やればこなせることは目に見えている。もっと伸びる可能性を感じたからこそ、360度の視野が求められるポジションで「できるだけ広いスケールでプレーさせたい」と考えた。
最も多感な中学時代を見守ってきた藤崎氏には、この先も冨安の成長曲線が、穏やかに真っすぐに伸びていくのが想像できるという。「代表に選ばれても僕らは驚かない。“あ、だよね”という感じなんです。こんなやつがA代表、五輪代表になるんだなと思いました。自分で頑張れるやつが。で、自分で自分のことを凄いと思わないやつが」
今年9月、冨安はA代表に初招集された。続く10月の活動では、パナマ戦で国際Aマッチ初出場を果たした。1メートル88の長身。守備での完封貢献だけでなく、攻撃でも起点となる縦パスを何度も入れた。20年東京五輪の中心として期待される19歳が、将来、A代表の看板選手となるかもしれないと思わせるには十分なデビューだった。
周囲の期待感をよそに、試合後の冨安は言った。「まだ1試合やっただけ。これでどうこうというわけではない」。2年後の東京五輪へ、その先へ――。これからもきっと、冨安は、目の前の道をひたすらに駆け抜けていく。
<11歳からバルサスクールに通う>11歳から冨安は、09年に開校したFCバルセロナスクール福岡校に通った。小学校卒業時にはスペイン遠征でAマドリードの下部組織と対戦して大敗。テクニカルダイレクターを務めていたイバン氏(現・J2東京Vコーチ)は「その中でタケは凄く良いプレーをしていた」と振り返り「高さがあるのにコーディネーション能力(運動神経)もあった。彼は凄く謙虚で賢い選手」と回想した。
<公式戦13試合全てフル出場>1月に加入したベルギー1部のシントトロイデンで、冨安は今季、フィールドプレーヤーでは唯一、公式戦13試合全てでフル出場を果たしている。同クラブは17年11月に日本のネット関連会社「DMM.com」が経営権を取得。他にもDF遠藤、MF関根、DF小池、MF鎌田の日本人選手4人が在籍している。
◆冨安 健洋(とみやす・たけひろ)1998年(平10)11月5日生まれ、福岡県出身の19歳。小1から三筑キッカーズで競技を始め、バルセロナスクール福岡校にも在籍。福岡の下部組織で育ち、2種登録された高校2年時に天皇杯で公式戦デビュー。J通算45試合1得点。U―15から各年代別日本代表に選出され、16年リオ五輪時は練習パートナーとして同行した。今年1月にベルギー1部シントトロイデンに完全移籍。1メートル88、78キロ。
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