本田 ラツィオ移籍が破談に…原因は移籍金の支払い方法

[ 2012年2月1日 06:00 ]

最後には本田のラツィオへの移籍が決まるだろうという見通しをたてるイタリアの2大スポーツ紙およびローマ地元紙だったが…

 CSKAモスクワのMF本田圭佑(25)のイタリアの名門ラツィオへの移籍が急転、破談となった。31日、イタリアの衛星テレビ局スカイ・スポーツがCSKAモスクワ広報の話として報じた。クラブ間で移籍金の額などで合意に達していたが、支払い方法が決裂の原因となったもようだ。

 “ラツィオ本田”は土壇場で消えた。冬の移籍期間最終日となった31日のイタリア時間午後3時30分、地元の衛星テレビ局スカイ・スポーツは、CSKAモスクワ広報の「本田は残留する」というコメントを伝えた上で「従って本田の移籍は消滅した」と報じた。ラツィオの広報は本紙の取材に「今は何も話せない」とコメントした。

 破談の原因は移籍金の支払い方法だった。28日までに移籍金1400万ユーロ(約14億円)でクラブ間合意に達していた。31日付のコリエレ・デロ・スポルトなどの地元紙によると、ラツィオのロティート会長は30日にローマ市内のオフィスでCSKAモスクワの幹部と最終交渉。双方の弁護士が同席する中で細部の詰めを行ったが、移籍金の支払い手続きで分割を希望するラツィオ側に対し、CSKA側はあくまで一括払いを要求。スカイ・スポーツが「CSKA側が全く柔軟性を見せず暗礁に乗り上げた」と伝えたように、CSKA側の強硬姿勢が最後の最後で一転決裂という結果につながったもようだ。

 本田にとってラツィオ移籍はステップアップとなるはずだった。年俸ダウンをのんででもセリエAでのプレーを熱望。ラツィオのレーヤ監督は31日、「本田はイタリアに来たがっている。彼は中盤のさまざまなポジションがこなせるだろう」と新助っ人を切望していただけに、決裂は双方にとって悲劇的な結末となった。

 本田が小学校の卒業文集に書いた「10番を着てイタリアでプレーする」という夢は今冬にはかなわなかった。右膝のリハビリから復活を期す本田は、CSKAモスクワのスペイン合宿に5日にも合流することになる。

≪移籍交渉経緯≫
 ▼1月16日 イタリアの地元紙で、ラツィオが本田獲得に動いていることが報じられ表面化。

 ▼18日 ラツィオのターレ強化部長ら、クラブ幹部がモスクワ入りし、CSKAモスクワ側と接触。ラツィオ側はレンタル料200万ユーロ(約2億円)の半年間の期限付き移籍での獲得をオファー。一方のCSKA側は1600万ユーロ(約16億円)の移籍金を要求し、交渉は平行線。

 ▼25日 ラツィオが買い取りオプション付きの期限付き移籍から移籍金1400万ユーロ(約14億円)の完全移籍に変更して再オファーしたことで合意に前進。

 ▼28日 ラツィオ側とCSKA側が条件面で大筋合意。ラツィオ側は本田に年俸200万ユーロ(約2億円)プラス出来高、肖像権を与えることで合意。契約期間は4年半、背番号は10が用意され、発表まで秒読み段階に入った。本田もリハビリ先のバルセロナからローマ入り。ラツィオのロティート会長と市内で会食。

 ▼30日 詰めの交渉を行ったが、移籍金に関してCSKA側が一括での支払いを要求。分割での支払いを望んでいたラツィオ側と折り合わず、31日に交渉は決裂。

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