シンボリクリスエス死す 21歳 G1通算4勝 02、03年の年度代表馬

[ 2020年12月10日 05:30 ]

2003年の有馬記念を制し、連覇となったシンボリクリスエス。鞍上のオリビエ・ペリエ騎手はガッツポーズで雄叫びを上げる
Photo By スポニチ

 02、03年の年度代表馬シンボリクリスエス(牡、父クリスエス)が8日、蹄葉炎のため死んだ。21歳。9日、JRAが発表した。昨年、種牡馬を引退した後は千葉県成田市のシンボリ牧場でけい養されていたが今年9月に蹄葉炎を発症。7日頃から自力で立ち上がることが困難となり安楽死処分が取られた。

 02、03年の天皇賞・秋と有馬記念を連覇しG1通算4勝。中でもラストランの03年有馬記念では2着に9馬身差の圧勝。漆黒の馬体とねじ伏せるような強さで人気を博し、2年連続で年度代表馬に選出。種牡馬としても13年菊花賞、14年ジャパンCを制したエピファネイアなど多くの活躍馬を送り出した。通算15戦8勝。獲得賞金は9億8472万4000円。種牡馬エピファネイアは初年度産駒から無敗の牝馬3冠馬デアリングタクトを出し、最強牝馬アーモンドアイの初年度の配合相手として有力視されている。

 管理した藤沢和師は「引退レースだった有馬記念で素晴らしい勝ち方をしてくれた。ダービーは勝てなかったけど王道路線を歩んだ馬(タニノギムレット)は強いんだと調教師としていろいろ勉強させられました」と現役時代を回顧。「種牡馬としても成功しましたし、これからの2世、3世にも期待しています」と話した。シンボリ牧場の和田吉弘社長は「種牡馬を引退して1年しか生きられず、もっと長く生きてほしかったという気持ちでした。残念でなりません」と、その死を惜しんだ。

 ▼オリビエ・ペリエ(G1・5戦に騎乗し3勝)日本でたくさんのいい馬に乗せてもらったがシンボリクリスエスは世界に出ても通用する本当のチャンピオンだった。思い出に残るのはラストランの有馬記念はもちろんだが、同年の天皇賞・秋。大外枠で道中も厳しかったが直線を向いたら、物凄い脚であっという間に勝ってしまった。あの感触は今でも忘れない。僕にとって最高のメモリーだ。

 ▼蹄葉炎 脚に故障を発症し、動けずに他の脚で長時間、体を支え続けると、蹄の内部の血液循環が阻害されて蹄の内部に炎症が起こり、激しい疼痛(とうつう)を発する。これが蹄葉炎。馬は体重が重いため炎症の進行を食い止めることは難しく、重症に至ると安楽死処分となることが多い。昭和の名馬テンポイント、名種牡馬サンデーサイレンス、名牝ウオッカも蹄葉炎を患った。

続きを表示

2020年12月10日のニュース