亡くなった桂ざこばさんの筆頭弟子・桂塩鯛「ざこばの名跡は永久欠番…」高座で25分間師匠の思い出話

[ 2024年6月13日 17:04 ]

12日に亡くなった桂ざこばさんについて語る筆頭弟子の桂塩鯛
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 喘息のため12日に76歳で亡くなった落語家・桂ざこばさんの筆頭弟子である桂塩鯛(69)が13日、ざこばさん施設の落語の定席「動楽亭」で高座に上がった。

 出番前に取材に応じ「突然のことやったんで、ただただ驚くばかり。残念としか言いようがない」と心境を語り、「ざこばの名跡は永久欠番です」と師を偲んだ。

 12日未明、電話で師匠の訃報を知らされた塩鯛。12日夜、大阪府内の斎場で師匠の顔を拝んできた。「若い時から喘息で、呼吸がしんどかったと思います。寝てるみたいな顔やった。ご飯食べて、寝て、急に咳をしてそのままですから」と語り、「一本気で、うそをつけない人。ウソをついたらものすごく怒られる。でも、少々のことでは怒らないやさしい人でした」と故人の人柄を語った。

 最後に会ったのは昨年9月21日のざこばさんの誕生日。「あとはずっと家におられた。(ウチに)行くと気を遣わせるし、喋るのがしんどいだろうし。おいし果物とか野菜とかを贈ってた」という。最後に電話でしゃべったのは4月中旬頃。「上方落語協会の会長選挙の前。“どないなっとんや”“知りませんですがな”と」。会話することがきつくとも、上方落語界のことをずっと気にしていたそうだ。

 亡くなった当日の12日の高座では、報道陣の質問にも応じず、高座でも師匠のことに一度も触れなかった塩鯛。一夜明けた高座では、競馬の話、ハワイ旅行での税関での逸話、涙もろいざこばさんの話など25分間も師匠との思い出を明かし、師匠が最後に演じた「上燗屋(じょうかんや)」を情感たっぷりに披露。「師匠は最後の方はこればかり。一番たくさんやった話です。師匠も喜んでる?そうでしょうか」と思い出に浸りながら1席を演じ、客席の拍手を浴びていた。

 ざこばさんの筆頭弟子「都丸」として入門してから47年。「50年近い付き合いでした」という。77年に初めて弟子をとったのが29歳の若さ。7歳違いだったため当初は「師匠と呼ぶな。お兄ちゃんと呼べ」と言われたが、そういうわけにもいかず、師匠と呼び始めると「その後は都丸さんとか、都丸君と。必ず敬称をつけて呼び捨てにはしなかった」という。

 初弟子の扱い方も分からず、ざこばさんは都丸には何かにつけて駄賃、小遣いを与えたそうだ。3年半の年季明け時には「300万円ほど貯まっていた」。07年、京都南座でのの30周年記念公演でその話を披露すると、舞台袖に降りてきた途端に「300万、返せ。返してくれ」とざこばさんが迫ってきたそうだ。

 「師匠のお母様は103歳まで長生きしたので。もうちょっと長生きすると思ってた」と語り、自身が2度大病したことから「ボクの方が早く逝くと思ってた」という。二代目桂ざこばの名跡には「もういいでしょ。永久欠番でいいんじゃないですか?米朝師匠もそうでしたし」。大好きだった7歳上の師匠との思い出が、次から次へと浮かんでいるようだった。

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