ザ・パンチ準V 決勝でファイナル最低点のオチも16年前「M―1」の悔しさ晴らす THE SECOND

[ 2024年5月18日 22:55 ]

「ザ・パンチ」のパンチ浜崎(左)とノーパンチ松尾(C)フジテレビ
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 結成16年以上の漫才師による賞レース「THE SECOND~漫才トーナメント~グランプリファイナル」(後7・00)が18日、フジテレビ系で生放送され、ザ・パンチは準優勝だった。得点は243点とこの日の最低点をつけるオチをつけた。

 ただ、旋風は巻き起こした。結成26年のベテランコンビは1回戦では優勝候補タイムマシーン3号を破る大金星。準決勝でも難敵タモンズを下した。

 08年に最後のチャンスで臨んだM-1グランプリで、初の決勝に進んだ。しかし、結果はド緊張から本領を発揮できず、大差の最下位。ノーパンチ松尾は「傷口は10年くらい、かさぶたにならなかったかもしれないですね。俺たちは1回、死んだのだと思うんですよ」と、苦い思い出を振り返った。しかし、「腐らないでコツコツやってきたというのはあると思います。ずっと劇場で漫才をしてた」とも。地道に歩んだ道は、再び大きなチャンスへ通じていた。

 久々にテレビで披露する漫才。本番を前に、パンチ浜崎は「テレビの前で何も考えずに笑ってくれたらうれしいです。お酒を飲みながら、ご飯を食べながら、“バカだな、こいつら”なんて言いながら見ていただけたら」とコメント。無心でバカをやり切った。

 ピンチ続きの芸人人生だった。かつて売りにしていた過激なネタは、コンプライアンスが厳しくなるにつれ、封印を余儀なくされた。19年には、浜崎が反社会勢力が同席していた忘年会に出席したことが発覚し、無期限活動休止に。それでも、休止中にギリシャへ新婚旅行へ行くなど、図太く生きてきた。ちなみに、旅行中に突然、謹慎が解かれたため、活動再開が遅れたというオチまで付いた。転んでも、ただでは起きなかった。

 コロナ禍の危機も、チャンスに変えた。新型コロナウイルス感染で休むコンビの代打を多数、務め、舞台で縁の下の力持ちとして活躍。ある時、コンビのネタを見た桂文珍から大絶賛されたことをきっかけに、出番が増えていった。

 高校の同級生だった2人によるコンビ。青春をささげてお笑いに打ち込んだ。元放送作家の鈴木おさむ氏主催のライブに出場する際、インパクト不足を補うため、浜崎がパンチパーマにすることを鈴木氏から提案された。それがウケ、コンビ名を改名した。今年3月で作家業を廃業した恩師に、最高の報告こそできなかったが、もう一度日の目を見た姿を届けることはできた。

 「THE SECOND」は結成年が16年以上で優勝賞金は1000万円。グランプリファイナルは1対1のノックアウト方式で行われる。観客100人が1~3点の持ち点で採点し、上位が次のラウンドへ進出した。

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