乙武洋匡氏 巨額オファー断って康生監督が選んだ「柔道界への恩返し」

[ 2021年8月1日 05:30 ]

柔道男子代表・井上康生監督(左)と乙武氏のツーショット
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 【乙武洋匡 東京五輪 七転八起(8)】日本柔道界の戦いが終わった。男子は7階級で5つの金メダルを獲得する活躍を見せた。陰の立役者は、間違いなく井上康生監督だ。

 スポーツライターとして現地取材する機会に恵まれたシドニー五輪。最も印象に残ったのは、柔道男子100キロ級で見事に金メダルを獲得した井上康生が、表彰台で亡き母の遺影を掲げたシーンだった。以来、すっかり彼の虜(とりこ)となった私は、東海大学や地元の宮崎に通い詰めて密着取材を続けた。度重なるケガもありアテネ五輪での連覇は逃したが、2008年に引退を表明するまで彼の戦いを間近で見ることができたのは幸甚の至りだった。

 引退を表明すると、総合格闘技の世界からオファーが舞い込む。人気・実力ともに兼ね備えたスター候補生として、目玉が飛び出るほどの金額が提示された。しかし、彼はそれでも首を縦に振ることがなかった。その理由を訊(き)くと、彼は苦笑いしながらこう言った。

 「たしかに魅力的なオファーですし、ありがたいと思っています。ただそれ以上に柔道界に恩返しがしたいという気持ちが強くあるんですよね」

 引退から7カ月後、指導者としての研修を受けるために2年間のスコットランド留学を決意した。この経験が井上康生「監督」としての礎を築くこととなる。

 「科学的なトレーニングの重要性というものをとことん学ぶことができました。映像から相手選手を研究することなど、まだまだ日本の柔道界にはやれることが多くあると実感しました」

 帰国した彼は、目を輝かせてこう語ってくれた。

 その後、私は小学校教師となったが、彼は教師として私が子供たちとどう接しているのかを聞きたがった。個性の違う選手たちと、指導者としてどう向き合えばいいのかを模索していた時期だった。

 「柔道界に恩返しがしたい」と巨額のオファーを蹴って指導者としての道を選んだ井上康生。たっぷりと釣りが返ってくるほどの恩返しができたはずだ。

 ◇乙武 洋匡(おとたけ・ひろただ)1976年(昭51)4月6日生まれ、東京都出身の45歳。「先天性四肢切断」の障がいで幼少時から電動車椅子で生活。早大在学中の98年に「五体不満足」を発表。卒業後はスポーツライターとして活躍した。

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