ジャニー喜多川さんがV6に込めた願い いくつもの「V」

[ 2021年3月13日 07:30 ]

V6
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 1995年の夏。取材先で、ジャニーズ事務所社長だったジャニー喜多川さんが「見て欲しいものがあるんです」と声をかけてきた。自ら運転してきた車のトランクを開け、掛け軸を数本取り出しながら無邪気に笑う。横描きの掛け軸にはイラストが描かれており、1本には少年たちがバック転しながら躍動する様子が。別の1本には、この少年たちがバレーボールを楽しむ姿があった。ジャニーさんによる、デビュー前のV6の絵コンテだ。

 デビューはこの年の11月1日。記念イベントの会場となった国立代々木競技場第一体育館に続く歩道という歩道が女性ファンであふれ、JR原宿駅前の歩道橋は通行ができないほどに。人が集まりすぎて危険な状態となったため、急きょ予定を変更。時間をかけてファン約3万人を競技場敷地内に入れ、「体育座り」のままV6が登場しても絶対に立ち上がらないよう呼び掛けて無事に催しを終えた。これ以降、V6のイベントは、熱烈すぎるファンが集まることでも話題になった。

 当時はバレーボールW杯のイメージキャラクターを担当。ただ、ジャニーさんはグループ名の「V」に「Volleyball」だけでなく、別の意味も込めていた。「Veteran(ベテラン)」が若手と対を成す異色のWトリオ編成でもあり、「Versus(対)」。活動の多様性を目指す「Variety(バラエティー)」。栄光をつかもうと「Vicotry」にもかけたことから、中国語圏にライブ進出した際は、現地の新聞が「勝利六人組」の見出しで報じた。

 6人の年齢差は最大9歳。アイドルながら“脱サラ”でもある坂本昌行(49)に対して、デビュー直後の岡田准一(40)は14歳の中学生。その差を感じさせないくらい仲が良さそうに見えた。取材会は坂本のリードで進行。リーダーのジョークに長野、井ノ原が合わせながら、遠慮しがちな年少3人組をイジってトークに巻き込んでいく。場の盛り上げ方は放課後の同級生同士かと錯覚するほど息が合っていた。

 ジャニーズ事務所のアイドルではバレーボール界とコラボした先駆け。音楽業界ではまだ新興勢力だったエイベックスと初めてタッグを組み、ユーロビートを本格的に取り入れた。高速のリズムに乗って6人全員がバック転し、複雑なアクロバットが売りの一つだった。96年1月の東京初公演終了後には、森田剛(42)の直筆で挨拶状が届いた。

 「初のコンサートの無事終わり、春には全国を回ることになりました。どうぞこれからもよろしくお願いします」。森田もこの頃は夢と期待が膨らみ始めたばかりだった。

 ジャニーさんが他界して1年8カ月。生きていたら、解散を決断した6人に対して、どんな言葉をかけてあげたのだろう。(デジタル編集部長・山崎 智彦)

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2021年3月13日のニュース