浅田舞 心の溝を埋められないまま…天国の母へ思い「ちゃんと感謝の思いを伝えないといけない」

[ 2021年2月11日 20:51 ]

浅田舞
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 元フィギュアスケート選手でタレントの浅田舞(32)が、10日放送のフジテレビ系「突然ですが占ってもいいですか?」(水曜後10・00)に出演し、亡き母との溝を埋められなかった過去を打ち明けた。

 占い師の木下レオン氏から、「15~16歳くらいで、ご自身がきつい時期に入ってきた」と指摘された浅田は、「褒めてもらいたい、認めてもらいたいけど認めてもらえないとか、自分自身より周りの目を気にしちゃったりというのは、16くらいの時にすごくあった」と認めた。

 妹で10年バンクーバー五輪銀メダルの浅田真央さん(30)が頭角を表したのが、自身が14~16歳のころ。「そこからは誰かに褒められた記憶がなくなっていました」と話し、「自分が銀メダルを取った時も、『妹さんはトリプルアクセルを跳びましたけど?』って(質問された)。そう思われてしまうんだと。若かったので傷ついたことはあった」と、苦い思い出を明かした。

 そんな中、何とか頑張らせようと心を鬼にした母と、自身の実力との間で板挟みになった時期もあったという。「そんな姿を見て母は『私に頑張ってもらいたい。舞を頑張らせたい』という熱量がまた大きくなっていった。お母さんが何とか引っ張ってくれて、チャンスを与えてくれたにもかかわらず、期待に応えられず、また悩んで20キロくらいやせちゃったり」と告白した。

 姉妹の母・匡子さんは11年に肝硬変のため死去。48歳の若さだった。浅田は「母が亡くなる時って、お母さんとすごく仲が悪くなっちゃってて。妹がオリンピックに出るという時期に入って、母は妹に付きっきりになって、母との交流が一切なくなって。すごく恥ずかしいけど、グレてしまって。ほとんど母との会話もなく、溝が埋まらないまま母が亡くなってしまった」と、後悔を口にした。

 木下氏によると、匡子さんは愛型の本能を持つ「女性性」ではなく、使命型の本能で動く「男性性」だったという。浅田への厳しさは、その使命感からくるものだったと占った。

 一方で木下氏は、匡子さんについて「男性性的にならなければいけなかっただけ。1人の女性なんです。女性を捨てたお母さんに感謝。演じてただけ。2人の価値をぐっと上げることによって、男性的になっていた。『かわいい、かわいい』ってしたかったはずですよ」とも指摘。浅田は「『本当にありがとうございました』というのは、今まで(言え)なかったので、ちゃんと感謝の思いを伝えないといけないですね」と心を改めていた。

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2021年2月11日のニュース