阪神大震災で仲間を失った山崎八段の闘い 昇級かけて、あと2局「弱いままの自分ではいたくない」

[ 2021年1月16日 22:13 ]

山崎隆之八段(提供写真)
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 17日で阪神大震災から26年。あの日、同期生を失った将棋の山崎隆之八段(39)が初の名人戦A級順位戦への昇級を目指し、B級1組を1番手で快走中だ。3月までの残り2局に、2人の昇級枠入りを目指している。

 亡き同期生のまなざしを意識する。今年度、残り2局となったB級1組の戦い。「あと2局、充実した気持ちで指せたら“ごめんねの苦笑い”ではなく、あいさつできると思います」と山崎は語った。

 震災時、山崎は中学2年生。故郷広島から兵庫県宝塚市にある師匠森信雄七段(68)の自宅マンションに内弟子として家族3人と同居し、修行に励んでいた。

 福岡出身の船越隆文さん(震災時17)とは1992年、森門下でプロ養成機関・奨励会に入会した。震災当日、森は対局で東京へ。山崎が、船越さんが住む徒歩2分のアパートを訪れると倒壊した家屋の中にいた。以来、震災の日などに船越さんを思い出す度、「この体たらくでごめんね」と語り掛ける。

 NHK・Eテレ「将棋フォーカス」での解説、第1期叡王戦など棋戦優勝は8度を誇る。若手時代「東の渡辺、西の山崎」と、渡辺明王将=名人、棋王との3冠=と並び称された独創的棋風で知られるが順位戦では、13期連続B級1組と足踏みが続いた。

 14日のB級1組は過去11勝11敗の難敵・松尾歩八段(40)戦。深夜1時18分に終局する177手の熱戦を制し、9勝1敗と星を伸ばした。残り2局いずれかに勝つか、競争相手2人の双方が1敗でもすれば昇級が決まる。昇級確率97%。「(競争相手の)郷田真隆九段との直接対決が最終局にある。確率は50%が10~20%上がったくらい」と慢心はない。

 震災時、年齢は3つ上だったが棋力は二段の山崎に対し、船越さんは2級。「勝てば生き、負けは死」とまで思い詰めて打ち込む山崎との練習将棋などを通じ、船越さんの棋力も急上昇中だった。小説「聖の青春」に描かれた故村山聖九段を筆頭に、歴代最多12人の棋士を輩出した森にとっても最も信頼できる弟子へ成長していた。

 山崎が思い出すのは船越さんのあの和室。部屋にあったのは、布団に小さなテーブル、将棋盤と駒、以上。テレビも漫画もなかった。

 「残り2局、弱いままの自分ではいたくない。強い手が指せずに縮こまって負けるのは嫌です」。船越さんにもらった情熱も力に、鋭利にとがったあの頃の自分へ立ち戻ろうとするかのような口ぶりだった。

 ◆山崎 隆之(やまさき・たかゆき)1981年(昭56)2月14日生まれ、広島市出身の39歳。92年9月、6級で入門。2009年王座戦で挑戦経験があり、NHK杯では2度優勝。「将棋フォーカス」の司会を19年まで4年間務めた。

 ▼名人戦順位戦 A級は名人挑戦権を争うトップ10人によるリーグ戦。第79期は渡辺への挑戦権を争い、現在斎藤慎太郎八段が6勝1敗で首位。B級1組は13人で2人の昇級枠を争う、藤井聡太2冠は8勝0敗でB級2組のトップ。

 《1月17日は「一門の日」》
 山崎は震災時、森から一度破門を言い渡された。街角の公衆電話に被災者が列をつくった発生直後。携帯電話の普及前で、肉親や友人との安否確認のため切実な思いで待つ人々の中、順番がきた山崎がかけたのは日本将棋連盟への自身の対局の有無の確認。

 「周囲への配慮がなさ過ぎる」。森からの叱責に山崎も「自分のことしか考えていなかった」。結局、破門は免れたが内弟子を解消。帰郷して対局の度、大阪まで通い3年後、四段昇段した。

 森は1月17日を「一門の日」と定め、一昨年まで船越さんが住んだアパート跡地に師弟で集い追悼行事を継続してきた。跡地は所有者の好意で長く建て直しされず、更地に止め置かれたが所有権が移り昨年、住宅の着工が始まった。

 舞台は、市内の犠牲者名を刻んだ「追悼の碑」が設置されたゆずり葉緑地へ移った。ところが今回は新型コロナウイルス対策のため中止。山崎だけでなく、弟弟子の糸谷哲郎八段(32)が来月開幕の棋王戦5番勝負で渡辺への挑戦が決まったこともあり万全を期した。各自、同所を訪れるなどして追悼するという。

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