名脇役・古舘寛治を紐解く NY演技勉強に紅白出場も「リアルの求道者」今期は「コタキ兄弟と四苦八苦」

[ 2020年1月31日 08:00 ]

滝藤賢一とダブル主演を務める古舘寛治(C)「コタキ兄弟と四苦八苦」製作委員会
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 名脇役・古舘寛治(51)が今クールはテレビ東京のドラマ24「コタキ兄弟と四苦八苦」(金曜深夜0・12)に滝藤賢一(43)とダブル主演している。20代はニューヨークで演技を学び、実は大みそか恒例のNHK「紅白歌合戦」にダンサーとして出演した経験もある“異色”の経歴の持ち主。今や話題作から引く手あまたとなった古舘とは?その役者人生と魅力を紐解いた。

 TBS「逃げるは恥だが役に立つ」「アンナチュラル」、日本テレビ「獣になれない私たち」などの野木亜紀子氏によるオリジナル脚本で、映画「天然コケッコー」「苦役列車」、テレビ東京「山田孝之の東京都北区赤羽」などの山下敦弘監督(43)が全話演出を務める。ドラマ通もうなる座組で、深夜ドラマながら反響を呼んでいる。

 ムラタ(宮藤官九郎)という男と出会ったことから、1時間1000円の“レンタルおやじ”に挑む愛すべきダメおやじ2人、元予備校講師で現在は無職の独身、兄・一路(いちろう、古舘)と8年ぶりに実家に戻った弟・二路(じろう、滝藤)を通して紡ぐ人間讃歌コメディー。一路が足繁く通う「喫茶シャバダバ」の看板娘・さっちゃんを芳根京子(22)が演じる。

 古舘は1968年、大阪府生まれ。「中学、高校時代はハリウッド映画が好きで、よく見ていました。当時、仕事に対するイメージがあまりなく、父親が理系の会社員で、あと自分の周りだと学校の先生とか。『自分もこうなりたい』というものがあまりなかった中、やっぱり映画がおもしろいと思って。高校の三者面談で『俳優になりたい』と言ったら、先生が『何、バカなことを言って』と鼻にも掛けない感じだったことは覚えています(笑)。僕は大人の助言を聞くようなタイプじゃなかったので、そのまま高校を卒業して、たまたま雑誌で『劇団始めます』みたいな広告を見つけたんです」

 オーディションに合格し、上京。「ダンスの振付師の方が作った本当に小さな劇団。朝から晩までダンスの稽古をしたり、演技のクラスも歌のクラスもあったり。その劇団にはアルバイトをしながら、2年半ぐらいいました」。今月8日放送のテレビ東京「チマタの噺」(火曜深夜0・12)に出演した相棒・滝藤が「(古舘は)元ダンサーですからね。20歳ぐらいの時、『紅白歌合戦』で小柳ルミ子さんの後ろで踊っていた人ですから」と語っていたのは、このことだった。古舘は「その劇団にいた時に『紅白歌合戦』と『ザ・ベストテン』に、それぞれ1回だけ出ました。紅白は小柳ルミ子さんが引き連れて50人ぐらいのダンサーの1人として踊りました(87年、小柳の歌唱曲は『ヒーロー~Holding Out for a Hero』)」と“意外”な過去を明かした。

 そして、23歳の時、米ニューヨークに渡る。

 「憧れとして、ずっとアメリカが自分の中にありました。このまま東京で俳優になっていったとしても、何かつまらない人生だと思って。人として体験不足だと直感して、全然知らない世界に自分の身を投じてみようと。22歳の時に一度、下見に行ったんですが、英語も全然分からない。挫折して帰ってきたんですが、またバイトをしてお金をためて、やっぱりアメリカに行こうと最終的に決めました。上京する時も同じだったかもしれませんが、若さ特有の勢いで飛び込むような感じ。ビザが取りやすかったダンスの学校に半年ぐらい、その後、演技の学校に5年ぐらいいました。授業がおもしろかったので、長くいてしまったんですが、夏はバイクでアメリカ一周したり、若い頃だからできる生活でした」

 29歳の時に帰国。フリーで活動を続ける中、劇団「青年団」主宰で劇作家・平田オリザ氏(57)のプロデュース公演だけは「やりたいようにやらせてもらえた」と33歳の時に「青年団」入団。そして、劇団「サンプル」(松井周作・演出)「ハイバイ」(岩井秀人作・演出)「城山羊の会」(山内ケンジ作・演出)や映画「南極料理人」「キツツキと雨」の沖田修一監督作品の常連になった。

 2012~13年頃から映画やドラマも増え始め、「リーガルハイ」「逃げるは恥だが役に立つ」「宮本から君へ」などに出演。16年には第69回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門の審査員賞に輝いた「淵に立つ」(監督深田晃司)で存在感を発揮した。昨年はNHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」にレギュラー出演。東京高等師範学校の助教授・可児徳を演じ、序盤を彩った。

 今作は滝藤と企画から立ち上げ「理想的な仕事になりました。今回みたいにうまくいくことばかりじゃないので、難しいとは思いながらも、また企画からチャレンジしていきたい。そして、自分がおもしろい思える作品を増やしていきたいと思います」と今後の展望を語った。

 テレビ東京の濱谷晃一プロデューサーに古舘の魅力を尋ねると「リアリティーの求道者」と表現した。

 「古舘さんはニューヨークで学んだ演技メソッドを自分流にアレンジした“古舘メソッド”を持っています。今回のスローガンは、それを『日本のドラマで実践する!』。僕はその環境づくりに努めました。撮影の数カ月前に滝藤賢一さん、芳根京子さん、スタッフを集め、古舘さんはホワイトボードまで使って熱心な講義をしました。そこから、古舘流読み合わせと呼ぶべき独特なリハーサルを数カ月間、繰り返し。とにかくリアルにこだわる。その役が本当に存在する人間として、ナチュラルに所作や言い回しのスジが通ることを徹底しています。細かいところだと、古舘さんはセリフが出てくるまでに、たまに長い間があるんです。記憶力の低下が原因かな?なんて思ったりもしましたが『人間は本来、言葉を発するまで考える間が生じる』という敢えての計算。その場で起きたこと、その場で聞いたこと、それを感じてセリフを発する、予定調和を徹底して排するリアリティーの追究なんです」と脱帽している。

 濱谷氏は14年10月期のドキュメンタリー風ドラマ「ワーキングデッド~働くゾンビたち~」(BSジャパン)で古舘をメインに初起用。「役どころに納得が行かなかったようで、収録当日も『うまく演じられる自信がない』と楽屋から出てきていただけなくて…説明しつつ、最後は押し切って、スタジオへ。打ち上げで『濱谷さんはあの時、オレを無理やりスタジオに連れていった!』と糾弾されました」と苦笑い。

 「敢えてオブラートに包まず申し上げますと、以前の印象は『いい俳優だけど、面倒くさい』でしたが、今回ご一緒してみたら、とんでもなく熱い人なのだと思いました。企画へのアプローチもそうですが、プロデューサーや監督を飲みに誘ってディスカッションしたりするのも大好きで、むしろお話好きなんだなと思いました。ただ、絶対に自分が納得するまで妥協しない。それは演技に対しても、環境に対しても。尊敬はしていますが、面倒くさいという印象は、あまり変わりませんね」と笑いながら、古舘の“素顔”を明かした。

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