宮川花子 多発性骨髄腫を公表、車イスで会見「回復のメドが立ちました…NGKの舞台に立ちたい」

[ 2019年12月11日 14:07 ]

会見で「多発性骨髄腫」を告白した「宮川大助・花子」の宮川花子(手前)と夫で相方の大助
Photo By スポニチ

 体調不良で6月から休養していた夫婦漫才コンビ「宮川大助・花子」の宮川花子(65)が11日、大阪市内で会見し「症候性多発性骨髄腫」であることを公表。化学療法、リハビリなど治療の経過報告、今後の仕事復帰について語った。花子は「復帰のメドも立たず、退院の日も決まってないが、回復のメドは立ちました。NGKの舞台に立ちたい。大助を)見送るまで生きていたい」と語った。

 テレビカメラ9台、100人を超える報道陣を前に車イスで登場した花子。6月末に入院してから約半年ぶりに入院先の病院から外出。「喋ってるのは大丈夫。久々なんで5時間ぐらい喋ろうかと思ったけど、会社が“5時間”というのはやめてくれと、いやな経験があるから」と会見場の笑いを誘うほど元気な姿を見せた。

 花子は1988年に胃がんのため体調を崩し、一時休養。5年間は入退院を繰り返したが病気を克服して復帰した。だが、18年3月に今度は腰痛を訴え、自宅近くの病院で「転移性の骨腫瘍の疑い」と診断。骨に転移していた場合は“余命半年”の可能性を指摘された。奈良県立医大病院で精密検査し「形質細胞腫瘍」と診断を受けた。幸いにも余命半年ではないことが判明。骨髄には病気がなく、骨の2カ所に腫瘍が見つかった。仕事をしながら放射線治療を受け、症状は経過観察で落ち着いていた。

 ところが今年1月、検査で数値の異常が見つかり、腫瘍が2カ所でなく広範囲に広がっており、化学療法を勧められ、仕事の都合もあって大阪市内の病院への転院を希望した。花子が抗がん剤の副作用などへの不安など、通院、治療へ踏ん切りがつかず、その後5カ月間、治療せずに病気を放置してしまった。

 下半身が麻痺し、左鎖骨などを骨折。右の眼球が腫瘍のため飛び出してくる症状、背中に褥瘡(じょくそう)といういわゆる“床ずれ”ができるなど、危険な状態になった。たまらず、6月24日に奈良医大病院の天野逸人医師(58)に連絡。「命にかかわるかという状況。深刻だった」と天野医師は緊急入院までを明かした。花子は翌25日からのNGKの舞台、同29、30日の宮川大助・花子ファミリー劇場「竜宮伝説」(YESTHEATER)を休演した。同29日のNHK「バラエティー生活笑百科」には車イス姿で出演したが、げっそりした顔。周囲から心配する声が挙がっていた。

 検査では7カ所に腫瘍が見つかったが、その後、化学療法が劇的に効き、目の上のコブが消えるなど、全身CT検査の結果「病気はすべて消えている状況となった。いい状態まで回復」と天野医師は説明。ただ、2週間ほど下半身が動かない状態だったため「神経が正常に戻るか予測できなかった」。それでも治療開始から11日目に奇跡的に左足の指が動きはじめ、その後は筋力回復などのためにリハビリを続け、両足を動かせるようにまで戻った。天野医師は「上半身は普通。病院でもトークはキレています。急激に治療法は進歩している。将来的に舞台の上で、大助・花子の漫才を見せてもらえるまで回復してもらいたい」と笑わせた。

 回復のメドが立ち、「治療を受け、手術を受け、放射線治療を受けて、それでも生きているという証明をした。皆さんに諦めずに、1日でも命を大切に延ばしていけるように」と花子は同じような病気で苦しむ人たちにメッセージを送るため、回復の途中ではあるが会見を開いたこれまでの経緯を説明した。

 毎日、病室へ見舞いに行った夫の大助(70)も、07年の軽度の脳出血、さらに17年には腰部脊柱管狭窄症など入退院を繰り返し、同9月に舞台復帰した。献身的な介護をしてくれた夫に対して、花子は「結婚する時に、どんな人と一緒になるかやなく、最後を誰と迎えるか。それを感じました。結婚して40何年間、変わらない愛情を注いでくれたことで。いつお迎えが来ても幸せやなと思った。また、好きになりました」と感謝を口にし、涙をこらえていた。大助は「女房は伴侶。いつまでも元気であってほしい」と涙ながらに話した。今後は「車イスに乗れるようになったら退院する」と花子。「慌てず、焦らず、諦めず。NGKの舞台に立って、感謝の涙を流したい」と語った。

続きを表示

「美脚」特集記事

「嵐」特集記事

2019年12月11日のニュース