「米米CLUB」ジェームス小野田、解散の原因語る きっかけはあのメガヒットにあった…

[ 2019年7月19日 23:24 ]

バンドグループ「米米CLUB」のカールスモーキー石井(左)とジェームス小野田
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 バンドグループ「米米CLUB」のボーカル・ジェームス小野田(59)が18日、テレビ東京系「じっくり聞いタロウ~スター近況(秘)報告~」(木曜深夜後0・12)に出演。グループの解散や再結成に至ったエピソードを語った。

 1982年に「米米CLUB」を結成。1985年にシングル「I・CAN・BE」とアルバム「シャリ・シャリズム」でメジャーデビューを果たす。基本的には“パフォーマンス集団”の立ち位置で活動し、ジェームス小野田がリードボーカル、カールスモーキー石井(59)がMC兼ボーカルを務めていた。

 1990年に出した10枚目シングル「浪漫飛行」が107万枚のミリオンを達成。さらに1992年「君がいるだけで」が月9ドラマ「素顔のままで」(安田成美と中森明菜のダブル主演)の主題歌となり、289万枚のメガヒットとなった。ちなみにこの2枚のボーカルは石井のみが担当し、小野田はパフォーマンスでの参加となっている。

 ただ、このメガヒットが「米米」の流れを大きく変える。楽曲は「パフォーマンスありき」で作っていたハズだったが、「パフォーマンスはどうでもいいから、売れる曲を書け」と言われるようになってしまったのだ。小野田は「よくありがちな、バンドがどんどんつぶれていくパターン。自分がやりたいことをやれずに(曲を)作ってました。でも、なかなか2匹目のどじょうはいなかった」と当時を振り返っていた。

 こんな先の見えない状況で、さらに追い打ちをかける展開が待っていた。主題歌を担当した映画を鑑賞した際、あまりの出来の悪さから、メンバーたちは石井に「映画作りなよ!」とハッパをかける。するとそんな夢物語が現実のものとなり、映画を作る流れに。製作費は新人監督としては異例の10億円が用意された。

 しかし石井は監督としてはまったくの素人。主導権はカメラマンに握られ「相当大変そうだった」そう。出来上がった映画「河童」は興行収入4億円程度で、残念ながら結果を残すことが出来なかった。2年後、2作目となる「ACRI」を制作するがこちらも振るわず、石井は映画2本でなんと10億もの借金を背負うこととなった。

 石井は「映画の赤字をバンドで補てんさせることはしたくない」とメンバーたちにバンドを一旦“解散”させることを提案。「借金を全部返し切ってからバンドを再開しよう」との約束の元、1997年、結成から12年目の年に、稀代のパフォーマンス集団はついに解散することとなった。

 解散の原因は“映画の失敗”にあることは確かだったが、引き金となったのは皮肉にも「君がいるだけで」のメガヒットにあったのだ。

 「米米CLUB」の解散から8年の月日が流れた2005年。親交深いCharの50歳のバースデーパーティーを開催するにあたり、Charの息子からサプライズで「米米」をやって欲しいと打診を受ける。ここで披露したパフォーマンスが好評で、その翌年、本格的に再結成の動きへとつながった。小野田いわく「それからは(ライブを)やれる時にやるスタンス」にシフトしているそうだ。

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