安藤和津 “介護後”うつ脱却きっかけは孫の誕生「グレーの世界がピンクや黄色の感覚に」

[ 2018年10月18日 18:37 ]

著書「“介護後”うつ」の出版記念会見を開いた安藤和津(撮影・安田健二)
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 タレントでエッセイストの安藤和津(70)が18日、都内で著書「“介護後”うつ」発売を記念した記者会見を開いた。

 実母荻野昌子さん(享年83)の在宅介護と看取り、自身を襲ったうつ病について赤裸々に告白。テレビのコメンテーターなどを続けながら私生活では50代前半から20年近くにわたって続いたうつ状態について「感情から手足がもがれた感覚で生きなければいけないことが本当につらかった」と振り返った。夫の奥田瑛二(68)も自身より10キロ以上重い昌子さんの体を支えて排泄の世話をするなど献身的に支え「酔って帰ってきても母の体をひょいと担いだり、体を張って活躍してくれた」と感謝した。

 06年4月に昌子さんを看取ってからも、症状は改善されず「料理を作ろうと思って、冷蔵庫を開けてはみるものの、なんとなく眺めてパタンと閉じちゃう。主婦なのに料理ができないのは何なのと自分を責める。文章を書こうと思っても手紙も書けない。テレビでしゃべろうとしても言葉が出てこない」と苦しんだ。症状を認識できずに映画監督の長女・桃子(36)や女優の次女・サクラ(32)から「お母さん絶対ヘンだよ」と心配されても「あなたたちの方が心配よ」と言い返すこともあったという。

 光が差したのは、15年に桃子、17年にサクラがそれぞれ出産し、孫が誕生したこと。「おむつを替えたりやることは介護と一緒なのだが、母の場合は最後は死しかない。孫は私が死んでも生きていく。それまで暗いグレーの色に見えていた世界が、ピンクや黄色といった鮮やかな色の感覚になった」という。

 快復を実感したのは昨年暮れ。自宅を掃除中にテレビでお笑い番組を見ていて、自然に笑ったことだった。「お腹からハハハって笑った時に黒い固まりがポンって抜けていった。あ、いま抜けたって分かるんです」と明かした。

 昌子さんの介護体験を通じ、自らの終活も考えるようになった。2人の娘には「私が倒れたら、酒を飲ませてくれ、好きなもの食べさせてくれ、施設に入れてくれ」と伝えている。「終活は子どもの生活を守るために行うこと。どういう風に見送ってほしいか家族で話し合ってほしい」と語った。「やっと笑えたと思ったのが去年の暮れだった」という安藤。取材後の写真撮影には「写真が苦手なんですよ」と照れながら自然な笑顔で応じていた。

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2018年10月18日のニュース