羽生竜王“人智を超えるシナリオ”に導かれた100期目タイトルへの挑戦

[ 2018年3月25日 11:45 ]

羽生善治竜王
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 将棋を題材にした人気漫画「3月のライオン」の題名は、一説には棋士の運命を左右する順位戦の最終戦が3月に行われることに由来するとされている。それほど将棋界で注目度が高い3月、今年は将棋ブームに沸いた年度を締めくくるにふさわしい奇跡が起きた。その主役となったのは、順位戦A級で史上初の6人プレーオフを制し、前人未踏のタイトル獲得通算100期をかけて佐藤天彦名人(30)への挑戦権を勝ち取った第一人者の羽生善治竜王(47)だった。

 経験豊富な羽生でさえ「(6人プレーオフは)全然想定していなかった」というほど、人智を超えるシナリオだった。A級順位戦は今年は例外的に11人だったが、例年は10人の総当たり。4敗を喫した棋士の挑戦は、1986年度を最後に過去30年なかった。羽生は1月の段階でその4敗目を喫し、挑戦の目は薄いとみられていた。

 A級順位戦最終戦は3月2日、静岡市内の高級料亭で開催。6勝4敗で1人だけ全対局を終えた羽生も現地入りし、「もう待つだけですから」と自然体で大盤解説などのイベントに出演した。例年は将棋会館の大部屋で一斉に対局するが、ここでは10人の棋士が5つの部屋で各対局に臨み、他の部屋の結果は分からない状況だった。6人が6勝4敗で並び、プレーオフになる各部屋の勝敗の組み合わせは1通りだけ。確率にして32分の1のミラクルが起きた。

 羽生はタイトル獲得通算97期で迎えた今年度、どの棋戦で金字塔の100期に挑むかが注目されていた。タイトル戦は挑戦者になるだけでも大変。順調なら保持する棋聖・王位・王座を全て防衛するか、翌年の防衛で達成すると見られていた。だが王位、王座を続けて失冠。大記録への道筋が狂い始めたと思われた矢先、唯一永世資格を持っていなかった竜王を獲得して永世7冠制覇を達成し、一時は絶望的と思われた名人戦の挑戦者に。タイトル戦最高峰の両棋戦で大記録に挑むという筋書きは、書こうと思ってもまず書けるものではない。

 羽生がプレーオフの決勝で稲葉陽八段(29)を下した3月21日は、故升田幸三実力制第4代名人の生誕100年の日だった。生涯をかけ名人に挑み続けた伝説の棋士が生まれてからちょうど100年後に歴史的な挑戦が決まったのは、偶然ではないのかもしれない。(記者コラム)

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2018年3月25日のニュース