ディラン ノーベル賞受賞は…月面に立つのと同じくらいの確率

[ 2016年12月12日 05:30 ]

2016年ノーベル賞授賞式

 【ディランあいさつ要旨】

 皆さん、こんばんは。出席できずに申し訳ありません。しかし私の心は皆さんと共にあり、名誉ある賞を光栄に感じていることをご理解ください。

 私にノーベル賞受賞の可能性がわずかながらあると言われたとしても、月面に立つのと同じくらいの確率と考えなければならなかったでしょう。

 この驚くべき知らせを受けた時、私はツアー中で、正確に理解するのに数分以上かかりました。私は文豪ウィリアム・シェークスピアのことが頭に浮かびました。彼は自分を劇作家だと考えていたと思います。文学作品を書いているという考えはなかったでしょう。彼の文章は舞台のために書かれました。読まれることではなく、話されることを意図していました。しかしもっと日常的なことも考え、対処しなければなりませんでした。「資金繰りは大丈夫か」「後援者が座る良い席はあるか」。シェークスピアの意識から最もかけ離れていたのは「これは“文学”だろうか」という問いだったと確信します。

 歌を作り始めた10代の頃、そして私の能力が認められるようになってからも、私の願望は大したものではありませんでした。カフェやバーで、もしかしたら将来、カーネギーホールやロンドン・パラディウム劇場のような場所で聴いてもらえるようになるかもしれないと考えていました。少し大きな夢を描けば、レコードを発表し、ラジオで自分の歌が聴けるようになるのではと想像したかもしれません。それは私の中で本当に大きな目標でした。レコードを作り、ラジオで歌が流れるというのは、多くの人に聴いてもらえることであり、自分がやりたかったことを今後も続けられるかもしれないということでした。

 私のしてきたほとんど全てのことの中核にあるのは歌です。私の歌はさまざまな文化の、大勢の人たちの中に居場所を見つけたようで、感謝しています。

 これまで「自分の歌は“文学”なのだろうか」と自問した時は一度もありませんでした。

 そのような問い掛けを考えることに時間をかけ、最終的に素晴らしい答えを出していただいたスウェーデン・アカデミーに感謝します。

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