元国鉄マン田中要次 民営化が「運命」職場は愛知に、映画館通いに火

[ 2015年11月15日 10:00 ]

優しくほほ笑む田中要次。自身の人生について語ってくれた

田中要次インタビュー(上)

 たった3文字のセリフが大きな転機となった俳優・田中要次(52)。大ヒットしたフジテレビのドラマ「HERO」(01年)で「あるよ」とつぶやく渋いバーのマスターを演じてお茶の間にその顔を浸透させ、貴重なバイプレーヤーとして活躍している。元国鉄職員という異色の経歴の持ち主。愛猫家で、3匹の“娘”の溺愛ぶりも明かした。

 彫りの深い顔立ちに低音ボイス。「濃い顔に見えて、鼻はちっちゃくて意外とかわいい形でしょ。薬師丸ひろ子さんと同じ形じゃないかと思ってるんです。鼻さえ高ければ外国人になりきれたのに」と白い歯を見せて笑う。素顔は「HERO」の無口で眉間にしわを寄せた役とは違い、おちゃめに話す朗らかな人柄だ。

 山林が広がる長野県木曽町出身。新作映画を見るには松本市の映画館まで行かなくてはならず、中学生だった78年公開の「スター・ウォーズ」は、10歳上の姉の夫に連れていってもらい観賞した。「映画を見るのも一苦労でした」と振り返る。

 高校卒業後に国鉄に就職し、保線を担当。6年目の87年に国鉄が分割民営化されJR東海の社員となった。職場が愛知県に移ったことで映画館通いに火が付き、自主上映活動にも参加した。

 「地元で就職するために公務員試験とかを受けた中で、国鉄だけ受かったから就職した。自分の将来を真剣に考えず、田舎から離れられないと思っていたので、民営化で居場所が変わったのは運命だったのかな」

 ファンだった山川直人監督と知り合い、89年にミュージックビデオに起用された。撮影現場の楽しさに魅了され、90年12月8日にJRを退社した。

 「出演がうれしくて、わざわざ地元のレコード店に伝えにいきました。でも勘違いの始まりでもあった。母親に会社を辞めると伝えたら、食器を投げてキレられました。兄が親を心配させる人だったので“おまえだけは真面目だと思っていたのに”って。一番の裏切り行為をしたわけです」

 8年8カ月8日の鉄道マン生活は、今の仕事でも生かされている。バラエティーの鉄道企画や旅番組で重宝されている。

 「遅れてこの世界に入ったけど、それまでの経歴が役に立った。いつも列車を見上げていたので、立場が変わって客として、あらためて鉄道が楽しくなっています」

 ◆田中 要次(たなか・ようじ)1963年(昭38)8月8日、長野県生まれの52歳。89年、佐木伸誘のミュージックビデオ「SEEK AND FIND」に出演。主な出演作は日本テレビ「マイ☆ボス マイ☆ヒーロー」、NHK連続テレビ小説「純と愛」、映画は「キル・ビル」「WOOD JOB!~神去なあなあ日常~」「探検隊の栄光」など。1メートル78、73キロ。血液型A。

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