“芸人に愛された芸人”いくよさん 周囲気遣い、笑顔絶やさず

[ 2015年5月30日 08:15 ]

漫才コンビ「今いくよ・くるよ」の今いくよさん(右)

今いくよさん死去

 吉本興業に女性コンビが一組もいない時代に「今いくよ・くるよ」は誕生した。高校のソフトボール部で主将だったいくよさんは、マネジャーだったくるよに声をかけられる形で吉本入り。男社会の壁は厚く、1973年にコンビを結成するも鳴かず飛ばずの日々が続いた。

 転機となったのは1980年。漫才ブームの起爆剤となったテレビ番組「花王名人劇場」(フジテレビ系)への出演だ。売れない時代が長く続き、芸人を辞めるかどうかで思い悩む。「京都のスナックでママをやろうかな」と本気で考えていた。

 出演を懸けた東京・国立演芸場でのオーディションには10組参加。うち4組はオンエアされない厳しい条件。リハーサルでは全くウケず、番組プロデューサー・沢田隆治氏が「全然ダメ。もっとトーンを上げて出ろ!」と叱咤(しった)激励。不思議なことに本番では自信を持って大きな声で演じたことがはまったのか大ウケ。その日を境にどんな劇場でも爆笑を呼ぶようになった。オンエア後は、花王やカネボウなどCM10本以上に出演する売れっ子に。新たな女性人気を開拓した。

 私生活のいくよさんは、若手時代に苦労した経験からか、周囲を気遣い、笑顔を絶やさない人だった。無名の若手にも声をかけ、テレビ番組のロケでは撮影後に周辺のお店に「どうもお騒がせしてすみませんでした」と頭を下げて回った。20年以上前から3月3日に女性芸人を集めた「ひな祭り会」を開催。毎回30人以上が集まるが、全ての費用を負担するなど若手の面倒をよく見た。

 「一歩一歩やで。絶対に感謝の気持ちは忘れたらアカンで」とよく口にした。全ての世代の芸人に愛された芸人でもあった。

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2015年5月30日のニュース