たかじんさん悼む声続々…辛坊治郎「優しく繊細な方でした」

[ 2014年1月9日 05:30 ]

やしきたかじんさん死去

 ▼円広志(歌手)お互い歌手としてライバル心もあったが、コンサートなどで一緒に仕事ができて楽しかった。番組作りなどのプロデュース感覚が抜群で、努力家でもあった。私は逆立ちしたってかないません。

 ▼辛坊治郎(フリーアナ)最後に会ったのは「そこまで言って委員会」に復帰された時。それ以降はスタッフを通じて近況を伝え聞いていた。言葉の使い方、内容などどれをとっても、人生で出会った中で最も優しく繊細な方でした。

 ▼浜村淳(タレント)仕事熱心で、僕に負けじと映画を見ていたというが、僕の前では一度もそんなことは言わなかった。実はたかじんさんのお母様と親しくさせてもらっている。しっかりした明るい母の息子だけに、表ではやんちゃな芸風でも、本当は細やかな心遣いができる人だったと思う。

 ▼大平サブロー(芸人)吉本興業を離れ、にっちもさっちもいかなくなった時、たかじんさんと偶然クラブでお会いした。店の奥に吉本の中邨会長(当時)がいて「こいつを戻らせてやってくれ」と僕と一緒に土下座をしてくれた。凄い気持ちのある人でした。

 ▼月亭八方(落語家) 彼との思い出は、京都のラウンジで彼が弾き語りをしていたころ。豪快な性格と、テレビでは視聴者を心底、喜ばせるところは藤山寛美さんの再来のようでした。

 ▼ハイヒール・リンゴ(芸人) 個性を引き出していただいた恩人に、北新地の豪快なはしご酒を教えていただいた人生の先輩に、「おまえの指し棒芸は、まだまだや! せやけど最近は、ちょっと良うなって来た!」と、最後は少しほめてくださる本当はとても優しいお人柄に、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 ▼ハイヒール・モモコ(芸人) 私の結婚式では、わざわざハワイまで来てくれて、お父さんの代わりにバージンロードを歩いてくれました。一緒に、まだまだ、教えてもらいたかったです。一緒に、まだまだ遊んでほしかったです。

 ▼シャンプーハット・小出水(芸人) 本番中にスベろうが、いつも笑ってフォローしてくれました。一度復帰された時の照れくさそうな笑顔が忘れられません。

 ▼シャンプーハット・てつじ(芸人) たかじんさんからは教わることばかりでした。テレビの取り組み方や、芸事、遊び方、かぞえきれません。少しでも教わった事をできるようになります。

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2014年1月9日のニュース