【高校野球 名将の言葉(10)健大高崎・青柳博文監督】「走っても機動破壊。走らなくても機動破壊」

[ 2022年8月14日 07:25 ]

健大高崎・青柳監督
Photo By スポニチ

 女子校が共学となったのが01年。高崎健康福祉大高崎の野球部が創部したのは翌02年だった。初代監督に就任したのが青柳博文監督だった。当時は専用グラウンドはなく「野球をやる環境ではなかった」と、学校の片隅で練習をこなしていた。

 10年目の11年夏に甲子園初出場。2回戦で横浜にサヨナラ負けを喫した。甲子園で勝ち上がるために、チームのテーマを「機動破壊」とした。機動力を絡め、攻撃的な野球をやる。この四文字に思いを込めた。

 12年選抜1回戦。天理相手に失敗なしの7盗塁を決め、快勝。リードを大きく取り、相手投手に20球もけん制球を投げさせた。「機動破壊」は甲子園を沸かせた。初の4強入りも成し遂げた。14年夏、15年春、17年春と甲子園で8強まで勝ち進むなど、常連校の仲間入りを果たした。

 当然、相手校は機動力を警戒してくる。15年選抜2回戦で天理と再戦した。盗塁は0で、チームは3―1で勝利を挙げた。

 毎試合後、青柳監督は甲子園の取材エリアで、機動力の質問を繰り返し受けてきた。そんな中、ある一言を発した。

 「走っても機動破壊。走らなくても機動破壊」

 盗塁だけが機動力ではない。天理との一戦が、その象徴だった。決勝点は、50メートル7秒6の4番打者の好走塁で奪った。選手たちには「走塁に足の速さは関係ない」と声を懸ける。高崎健康福祉大高崎の登場は、全国の球児たちの走塁の意識を変えた、と言ってもいいだろう。(川島 毅洋)

 ◇青柳 博文(あおやぎ・ひろふみ)1972年(昭47)6月1日、群馬県出身の50歳。前橋商では90年選抜に出場。1回戦の新田戦に「4番・一塁」で出場も敗退。東北福祉大を経て02年から高崎健大福祉大高崎監督に就任。11年夏に甲子園初出場し、12年春に4強。14年夏、15年春、17年春にベスト8。甲子園通算14勝7敗。

続きを表示

2022年8月14日のニュース