双子で目指した甲子園 藤代・橿渕兄弟の夢は続く

[ 2021年9月29日 08:30 ]

12年間一緒にプレーしてきた橿渕兄弟の兄・勇太(左)と弟・翔太
Photo By スポニチ

 14年夏以来の甲子園出場を目指した藤代(茨城)は今夏、茨城大会の準々決勝で水城に1―2で敗れた。「1番・右翼」の橿渕(かしぶち)翔太(3年)と「2番・左翼」の勇太(3年)は、双子の兄弟。最後の試合はともに無安打に終わったが、父であるヤクルト・橿渕聡スカウトグループデスク(47)から授かった言葉を胸に、熱くプレーした。

 ヤクルトの外野手だった父がユニホームを脱いだ2003年。10月6日に2人は生まれた。兄・勇太は小1の時に「父のようにプロ野球選手になりたい」と誓って野球を始めた。弟・翔太も「最初は興味がなかったけど、勇太がやるなら」と続いた。

 顔も背格好もそっくりな兄弟。「僕は左目の下にほくろがある」と兄・勇太は見分けるコツを明かす。小、中学時に同じチームだった2人は、菊地一郎監督の誘いで地元の取手市にある藤代高校に進学した。

 兄・勇太は50メートル5秒8の快足を武器に1年秋に外野のレギュラーになった。弟・翔太も出塁能力の高さを売りに、2年秋から同じく外野のレギュラーに。父は高校時代、中堅手として春日部共栄(埼玉)を2度も甲子園出場に導いた。兄弟は「自分たちも甲子園に立ちたい」と白球を追った。

 2人はプロスカウトとしての目を持つ父の言葉を胸に刻んでいる。兄・勇太は中学時にプレーした「取手シニア」で打撃不振に陥った際、父に「積極性が大事。ファーストストライクを振り切りなさい」と金言を授かり、不振を脱却。それ以来、甘い球を逃さない積極的な打撃が持ち味になった。

 弟・翔太は「取手シニア」での2年秋にレギュラー落ち。やる気をなくし、中3夏の大会前になっても素振りをサボりがちだった。そんな時に父は「諦めるな。継続は力なり」と鼓舞。ハートに火がついた翔太はそれ以来、暇さえあればバットを振った。兄より少し遅れたが、継続した努力が高2秋のレギュラー奪取につながった。

 甲子園には立てなかったが夢は続く。弟・翔太は「できればプロ野球選手になりたい。できるだけ長く野球を続けることが目標」と言い、兄・勇太は「父と同じプロ野球に入りたい気持ちもあるが、スポーツ関係の仕事にも興味がある」と目を輝かせる。

 夢に向かって離れることがあっても、2人で聖地を目指した日々は色あせない。(記者コラム・柳内 遼平)

続きを表示

2021年9月29日のニュース