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帝京魂50年「人間には節目がある」前田監督が勇退 今後は名誉監督に

[ 2021年8月30日 05:30 ]

部員を前に退任を報告する帝京・前田監督(手前左)=撮影・小海途 良幹
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 甲子園通算51勝を誇る名将、帝京・前田三夫監督(72)が29日、勇退することを明らかにした。72年の監督就任から50年を区切りに決断したもので、東京都板橋区の同校グラウンドで選手たちへ伝えた。後任は金田優哉コーチ(36)。今後「名誉監督」としてサポートしていく。

 グラウンドに集まった1、2年生を前に前田監督は、初めて退任の意向を伝えた。

 「監督として50年。人間には節目がある。私自身はユニホームは着ませんが、君たちを側面から応援したい」

 決断は今年に入ってから。「体は元気だけど、けじめをつけようと、自分で区切りをつけた」。周囲には告げず、最後の指揮となった今夏は東東京大会準決勝で敗れた。1972年、帝京大卒業と同時に22歳で野球部監督に就任。「“甲子園に行こう”と言ったら、選手たちに笑われた。これでは夢がない、と思って厳しく練習した」。40人ほどいた選手はたちまち4人に。そんな弱小校を徹底的に鍛え、78年春に甲子園初出場。80年センバツでは、伊東昭光(現ヤクルト編成部長)を擁して準優勝した。

 転機は83年センバツ。初戦で名将・蔦文也監督率いる池田(徳島)に0―11で完敗した。「蔦さんのオーラを感じ、監督に重みがなければチームは強くならない」と痛感。以来、自身の成長のため体を鍛え、社会科教師として教壇に立った。89年夏にエース兼4番の吉岡雄二(現BCリーグ富山監督)を擁し甲子園初優勝。3度の日本一に導き「東の横綱」と称された。65歳で教員定年も70歳を超えてもウエートトレーニングは続けた。

 数多くのプロ野球選手を育て、一時代を築いた名将。静かにユニホームを脱いだ。

 【帝京OBの声】

 ▼楽天・奈良原内野守備走塁コーチ(86年度卒)野球人生の基礎、根本を教えていただいた。一番印象に残るのは守備で基本、反復練習を毎日これでもかとやったこと。

 ▼巨人・三沢2軍投手コーチ(92年度卒)前田監督との出会いがなければプロ野球選手になれていなかった。本当に50年間お疲れさまでした。

 ▼ソフトバンク・中村晃(07年度卒)前田監督の下でプレーできたことを誇りに思いますし、感謝しています。

 ▼日本ハム・杉谷(08年度卒)「個性をグラウンドで出しなさい」とずっと言われていた。その言葉があって今も野球選手としてやれている。

 ▼阪神・原口(09年度卒)学んだことの大きさは計り知れないぐらい今生きている人生に影響している。

 ▼DeNA・山崎(10年度卒)愛情を込めてご指導していただいたおかげで、今プロ野球の最高の舞台でプレーできています。これからは名誉監督として勝利に導いてください。帝京魂!

 ▼ヤクルト・清水(14年度卒)当時「背番号1が歴代で一番似合わない」と言われ反骨心が生まれた気がします。「勝負は一瞬」という言葉をいつも試合中に言われていたので試合の流れや雰囲気を感じ取って今も試合に臨んでいます。

 ▼とんねるず・石橋貴明(帝京野球部OB、79年度卒)お疲れさまでした。これからも高校野球界のため、ご指導よろしくお願いいたします。

 ◇前田 三夫(まえだ・みつお)1949年(昭24)6月6日生まれ、千葉県袖ケ浦市出身の72歳。木更津中央(現木更津総合)では三塁手で、帝京大時代に練習をサポートしていたことから卒業後、72年に帝京の監督に就任した。78年春に甲子園初出場し、89年夏に吉岡雄二投手を擁して全国制覇。92年春、95年夏にも日本一に導いた。歴代5位タイの甲子園監督通算51勝。

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