ロッテ・朗希 亡き父と育ててくれた母に贈る感謝のウイニングボール 憧れ甲子園でプロ初勝利

[ 2021年5月28日 05:30 ]

交流戦   ロッテ6―4阪神 ( 2021年5月27日    甲子園 )

<神・ロ>甲子園のマウンドから第1球を投げ込む佐々木朗希
Photo By 代表撮影

 ロッテの佐々木朗希投手(19)が27日の阪神戦に先発し、プロ2度目の登板で初勝利を挙げた。5回7安打4失点。打線が2―4の6回に逆転し、白星が転がり込んだ。大船渡3年時の夏に岩手大会決勝で登板を回避。最速163キロで「令和の怪物」と呼ばれた高卒2年目右腕は出場できなかった甲子園のマウンドに初めて立ち、最速154キロの直球を投げ込み、ウイニングボールを手にした。

 少年時代から憧れた甲子園でつかんだ初めてのウイニングボール。佐々木朗は「両親に渡したい」と自然に言葉が出た。女手一つで育ててくれた母・陽子さんだけではない。10年前の東日本大震災で亡くなった父・功太さん(享年37)にも感謝の気持ちを込めた。

 運命だろう。中学時代、強豪校からの誘いを断り「一緒に甲子園に行こう!」と仲間に呼び掛け、地元・大船渡へ進学した。3年夏の岩手大会決勝では故障防止を理由に登板を回避。甲子園で投げる夢はかなわなかったが、プロ2度目のマウンドが聖地となった。

 「初めてだったので甲子園の雰囲気を感じながら一生懸命投げたいと思った」。直球の最速は154キロを計測し、5三振を奪った。5回は2点差とされ、なお2死一、二塁。最後の力を振り絞り、梅野を147キロで遊ゴロに仕留めた。94球目だった。甲子園の神様がほほ笑む。直後の6回に打線が逆転し「びっくりした」と喜んだ。

 昨年1月に、さいたま市内の寮に入る際、大船渡の同期生が寄せ書きしてくれた高校時代のユニホームを持ち込んだ。「小中高とたくさんのチームメートと野球をやって、ここまで来られた」。小学生の頃はマウンドで泣くこともあった。中学時代はケガで試合に出られない悔しさをかみしめた。津波で父、祖父母を奪われ、少年時代からやるせない感情を抱えてきたが、仲間と白球を追いかける時は夢中になれた。

 「高校生にとっては特別な場所。今の僕にはそうではないけど、高校時代に来られなかった場所で投げられて、勝つことができてよかった」。みんなの夢だった甲子園。そんな舞台で投げる姿を見てくれた仲間たちが喜んでくれれば、それだけでよかった。

 肌寒い甲子園の夜風も心地よかった。「この1勝で終わらないように、どんどん積み重ねていきたい」。そう言って思い浮かべたのは故郷・岩手の家族、仲間、そして支えてくれた人たちの顔だった。(横市 勇)

 ▼母・陽子さん(大船渡市の自宅でテレビ観戦)ヒーローインタビューでウイニングボールをどうするのかと聞かれて「両親にプレゼントします」と言ってくれたことがうれしくて、号泣しました。私だけではなくて両親にと言ってくれたのがうれしかったです。

 ▼ロッテ・井口監督 打線が(佐々木朗を)しっかりと援護できた。(甲子園での先発は)ただ単にこの日になっただけ。予定通りです。

 ▼ロッテ・吉井投手コーチ 細かいことはたくさんあるけれど、これからの選手なので。これから体も強くなってくるので、球の質も変わってくる。スピードもコントロールももっとよくなってくる。

続きを表示

この記事のフォト

2021年5月28日のニュース