「22歳の輝」に送った手紙で明かした「14歳の輝」への思い 佐藤輝の父・博信さんが伝える言葉とは

[ 2021年3月27日 05:00 ]

セ・リーグ   阪神4ー3ヤクルト ( 2021年3月26日    神宮球場 )

佐藤輝明の父・博信さん
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 父から息子へ。佐藤輝の父・博信さん(53)が、開幕戦を迎えた息子へ手紙を書いた。中学3年時に一度書いたものの、出せずじまいだったその内容とは――。新たな門出を飾った長男に、祝福と激励を込めたメッセージをしたためた。

 前略

 君に手紙なんてはじめてのことだから、びっくりかもしれませんね。先日、約束を守らなかった時、本当に受験をやめさせるつもりでした。昨日もテストを持ち帰らなかったので「やめろ」と怒鳴りました。君も言いたいことが色々あるでしょうが、まず父さんの考えを聞いて欲しい。そのうえで君の考えを聞かせてください。それがこの手紙の意図です。

 君が生まれてからのことを辿りながら書くので、かなり長くなるかもしれないが最後まで読んでほしい。1999年、平成11年3月13日 君が生まれた。嬉しくて、もう死んでもいいと思ったぐらいだ。それを母さんに言ったら「これから育てなアカンのに何言ってんの」と真顔で言われた。生まれてから2週間以内に名前を決めて出生届を役所に出さなければいけないのに、めっちゃいい名前をつけてやろうと思うあまり、迷いに迷って届け出がギリギリになってしまい、また母さんに叱られた。

 君が小さい頃は、弟たちもそうだが、とにかく丈夫で元気に育ってくれればそれでいいと思っていた。スクスク育つ君を見ているだけで幸せだった。2、3歳になってくると自我も芽生えてきて、いろいろと悪さをするようになる。今の悠みたいにね。

 父さんは君に対して小さい頃から厳しかったと思う。可愛いと思う半面、しっかりとした人間に育てなければという思いが強かった。

 躾(しつけ)のつもりでも、時に感情的になってしまい君を叩いたり、無視してしまったことがある。今でも、その時のことを思うと「やり過ぎたな」「他にやり方があったな」と心が痛みます。

 それでも君はグレることも反抗することもなく、幼稚園、小学校時代を過ごし、野球と出会ったことで生まれて初めて自信のようなものを感じたのではないだろうか。

 父さんは直感的に「この子は野球だな」と感じました。人には持って生まれた才能、センスがあります。君は勉強もそこそこできる方だが、野球をしている時が一番しっくりくるし、輝いていると思います。

 君が5、6年生の時、ホームランを打つたび父さんも母さんもどんなに嬉しかったか。口では「ホームランを打つと回転ずしなので、お金がかかって困る」なんて言っていたけれど、本心は「なんぼでも食わしたるから打てー!」でした。

 その頃から父さんは、輝がプロ野球選手になれたらいいなあという夢を描くようになった。君も同じ気持ちだったのではないだろうか。

 そんなやさき、全日本学童の県大会の直前、突然、君の肩をアクシデントが襲いました。今思えば、この時すでに肘も壊れかけていたのだろう。ここで、肩も肘もしっかり検査してもらうべきでした。父さんは君の活躍に有頂天になって「輝なら大丈夫、俺の息子だから強いはずだ」と過信してしまった。

 君はあの時、投げられる状態ではなかった。親として絶対に止めるべきだった。そんな君に投げさせておいて、試合後ぐだぐだと説教しましたね。あんな負け方で一番つらかったのは君自身のはずなのに…本当にすまなかった。

 その後野球肘が発覚し、そこから時間が止まってしまったような感じでした。

 1年以上が過ぎ、中学で肘が治ってからは、野球ができる君を見ているだけで満足でしたが、やはり治ってくると期待感も高まりました。

 父さんの好きな言葉に「夢を捨ててはいけない、夢がなくともこの世にとどまることはできる。しかしそんな君は、もう生きることをやめてしまったのだ」という詩があります。「生きる」ということは夢に向かって力を注ぐことであるという意味だと思います。

 毎日おいしいものが食べられて幸せ?

 ゲームができたりテレビが見られて最高?

 欲しいものが買えて満足?

 たしかにそうでしょう。しかし、たった一度の人生、本当にそれだけで心からの満足感や達成感、幸福が得られるだろうか?

 今の君は夢をもって生きていますか?

 君の夢はなんですか?

 君は「夢」という絵の下書きを描き始めたところで、ほんの少しつまずきました。

 この絵はまだ輪郭も描けていないし、もちろん色もぬっていません。この絵が完成するかどうかもわからないし、どんな絵になるかなんて君自身にも、誰にもわからない。

 ひとつ言えるのは、途中で描くことを諦めてしまえば絵は永遠に完成しないし、適当に描けば適当な絵にしかならないということです。

 自分を信じて行動を惜しまなかった人間にだけ、夢という絵を完成させるチャンスが巡ってくるのです。

 父さんは輝が生きているだけで幸せです。

 それは母さんも同じ気持ちだと思う。

 しかし同時に、夢に向かって最大限チャレンジして欲しい。それがどんな夢でもかまわない。その夢が叶わなくてもいい。本当に心の底から君自身がやりたいこと、成りたいものに向かって突き進んでもらいたいのです。

 矛盾するようだが、それが父さんの偽らざる願いです。  草々

 平成25年7月9日 輝明へ 父より

 <取材後記>

 博信さんに中学時代の手紙の存在を明かしてもらったのは、開幕を迎えるに当たって佐藤輝に手紙を書いてほしいと企画打診した際だった。いったんは胸の内に秘めた手紙の内容を明かすとともに、門出を祝福する思いを文字で表すには相応の覚悟が必要だったはず。それでも「なんとかやってみます」と協力していただいたご厚意には感謝しかない。

 近大時代までは三塁側スタンドで愛息の打席をほぼ毎週動画撮影し、佐藤輝はその動画を参考に反省と打撃改良を繰り返していた。「あの動画を撮っていたのが最後。もう僕の手を離れたようなもんですから。寂しいのもありますし、うれしい気持ちもあります」。これからも夢の世界で羽ばたく息子を、温かい目で見守る。 (阪神担当・阪井 日向)

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