【内田雅也の追球】ルース+カッブの「奇跡」 阪神が甲子園で目指すべきビッグ&スモールボール

[ 2021年3月9日 08:00 ]

甲子園球場外周に建つ「ベーブ・ルース来場記念碑」
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 1947年夏の土曜日、少年はクリーブランドにある父親の弁護士事務所にいた。翌日にはミュニシパル・パーク(当時のインディアンス本拠地)でOB戦が予定されていた。

 正午になり、父親の言いつけで向かいのホテル内コーヒーショップにサンドウィッチを買いにいった。店に入ると、あの伝説の英雄、ベーブ・ルースがいた。2人の男とテーブルを囲んでいた。

 急いで事務所に引き返し、ペンと紙を手にショップに戻った。「ミスター・ルース。あの、サイン、いただけますか?」

 ルースは「ああ、いいよ」とにっこり笑った。ペンを走らせながら、つけ加えた。「もう5分早く来りゃよかったのにな、坊や。さっきまでここにタイ・カッブとトリス・スピーカーもいたんだぜ」

 作家ポール・オースターが出演したNPR(全米公共ラジオ)の番組で放送された「普通の人びと」の投書を編集した『ナショナル・ストーリー・プロジェクト1』(新潮文庫)にある。

 世界は驚異の事実、偶然や奇跡に満ちている。クリスマスの小さな奇跡を描いた映画『スモーク』の原作『オギー・レンのクリスマス・ストーリー』を書くなど、オースターは日常に潜む僥倖(ぎょうこう)や奇跡をよく知っていた。

 この少年の話で驚くべきはルースとカッブが同じテーブルにいたという事実である。現役時代から犬猿の仲だった。本塁打王ルースと安打製造機カッブはプレースタイルも性格も正反対だった。ともに1936年のアメリカ野球殿堂第1回受賞者5人(ファースト・ファイブ)に選ばれているが、ルースと同席を拒んだカッブは写真撮影に遅刻している。カッブ不在の記念写真は有名な1枚だ。

 前置きが長くなった。さて、阪神はきょう9日、今年初めて甲子園でオープン戦を行う。新しくなったチームが本拠地でどう戦うのか。特に打線に注目したい。

 先の福岡でのソフトバンク3連戦では毎試合2本塁打で計10点をあげたが、本塁打以外は3点にとどまった。甲子園では一発攻勢は望めず、つながりや機動力に期待したい。

 何しろ、34年に甲子園を訪れたルースは「トゥー・ラージ」(広すぎる)と言ったほどだ。当時の甲子園は現在よりもずっと広く、中堅128メートル、左・右中間は137メートルもあった。

 ルースはカッブに向け「あんたみたいにこつこつ当てていけば打率6割は打てそうだ。だが、オレの給料はホームランを打つことで払われているんでね」と言った。カッブは「野球本来の魅力は単打の応酬にある」とスモールボールの姿勢を崩さなかった。

 相いれないようだが、先の投書を読めば、犬猿とみられた両者も、本当は互いを認め合っていたと思えてくる。つまり、阪神が甲子園で目指す野球はルース型+カッブ型の融合だ。

 日本一となった1985(昭和60)年型の野球とも言えるだろう。強力打線でセ・リーグ新記録(当時)のシーズン219本塁打を放った打線だが、同じくセ・リーグ最多(当時)の141犠打と記録している。硬軟自在の攻撃が特徴だった。2003年や05年優勝当時の打線も、つながりが特徴で、時に試合を決める一発も目立った。

 大物新人・佐藤輝明(近大)の加入が打線全体に活気を呼んでいる。夢よ再び……も無理な話ではない。何しろ、奇跡は日常に潜んでいる。=敬称略=(編集委員)

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2021年3月9日のニュース