ダイエー初代球団社長・鵜木洋二さん死去 80歳、肺がん 行動派で正義感の熱血社長

[ 2021年2月27日 05:30 ]

鵜木洋二さん
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 学校法人福岡工業大学は26日、福岡ダイエーホークス(現在のソフトバンク)初代球団社長を務めた鵜木洋二(うのき・ようじ)理事長が肺がんのため23日に80歳で死去したと発表した。

 葬儀・告別式は遺族の希望により近親者で執り行われた。「学園葬」「お別れの会」などは故人の意志により行わないとしている。

 鵜木氏は法大を卒業後、ダイエーに入社。企業買収に手腕を発揮し、1988年のダイエーによる南海ホークスの買収と福岡移転にも深く関わった。97年11月から学校法人福岡工業大学の理事長に就任していた。

 【悼む】鵜木洋二元球団社長はダイエーのホークス球団買収と福岡移転に力を尽くした。法大出身で在学中は柔道部に所属し東京五輪の代表候補にもなった。ダイエー時代には乗客として搭乗していた国内航空機でハイジャック事件に遭遇。刃物を所持していた実行犯を素手で取り押さえた経験もある。「たいしたことはしていません。ただ義憤に駆られて思わず行動に出ただけ」と後日談で聞いたことがある。行動派で正義感の熱血社長だった。

 ダイエーでは故・中内功オーナーの懐刀として企業の買収・合併を担当していたと聞いた。ダイエー球団の九州進出に際しては、地元の銀行、鉄道、小売業などが固い結束で結ばれ外部勢力に排他的な福岡に、先陣を切って乗り込んだ。

 巧みな交渉術で、かつて福岡を拠点とした西鉄ライオンズへの熱い郷愁が残る福岡の地に新球団を根付かせた。平和台の毎試合、先着1万人にダイエーホークスの球団キャップを無料配布するなど球団の地道なローラー作戦の指揮を執った。

 日本初の開閉式福岡ドーム(現ペイペイドーム)の建設に尽力し、球団強化のために当時、西武ライオンズの球団管理部長だった故・根本陸夫さんを招いたのも鵜木さん。ホークスの常勝軍団への基礎作りを終えると福岡工大の理事長に就任して大学教育の分野でも大きな貢献を果たした。ホークスにとって大恩人の一人だった。心からご冥福をお祈りしたい。(特別編集委員・中島 泉)

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2021年2月27日のニュース