【藤川球児物語(23)】W快挙に涙 リーグV決定日に79試合目の登板で日本記録更新

[ 2020年12月5日 10:00 ]

05年9月29日の巨人戦でセ・リーグ優勝を決めて、抱き合って喜ぶ藤川球児(左から2人目)
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 リーグ優勝。ひとつの目標に向けて、選手一人一人が力を合わせて、前に進む。2005年秋、カウントダウンの中で、藤川球児は充実した毎日を送っていた。疲れも感じることはなかった。

 中日との死闘から一歩抜け出すと、あとはゴールへ一直線。9月28日、甲子園での巨人戦に7―5で勝利。ついにマジック1。王手をかけた。3点リードの8回に登板。この日も手応えはあった。高橋由伸を空振り三振、小久保裕紀も空振り三振、そして阿部慎之助を中飛と11球で締め、プロ野球タイ記録の78試合登板に花を添えた。

 お立ち台には今岡誠とともに登場した。「明日も投げます。一年の一番いい日にしたい。いいストレートを投げて、ジェフ、久保田につないで、JFKで締めたい」と力強く語った後、スタンドに呼びかけた。

 「涙の準備はできてます。みなさんも準備はよろしいでしょうか」

 歓喜の瞬間は翌日訪れた。9月29日、甲子園での巨人戦。7回からの登板はスタンドからのフラッシュの光で背番号22が包まれた。西鉄時代に稲尾和久が作った日本記録を塗り替えるシーズン79試合目の登板だった。9回、最後の打球を金本知憲がキャッチすると、藤川は右手を突き上げて、ベンチを飛び出した。二重の喜びだった。

 「泣かないと思っていたけど、我慢しきれなくなって…」
 03年も星野仙一の胴上げに加わったが、チームに貢献した手応えはなかった。後になって藤川はこう振り返った。

 「03年には深い思い入れがない。でも、05年は先頭に立たせてもらった。金本さん、下柳さん、矢野さん…。みんなが僕を立ててくれた。最高の思い出です」――。

 11月4日、リーグMVPが発表された。金本が894票で1位、藤川は500票で2位。監督・岡田彰布は「でも一番は藤川よ。初めてのポジションで描いていた以上の力を出してくれた」と名前を挙げた。それだけの働きをした。=敬称略=

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