【藤川球児物語(2)】22年前の出会い―野村監督のおかげで今がある

[ 2020年11月14日 10:00 ]

野村監督(左)から「人間教育」も受けた藤川(右)

 今年8月30日の夜だった。藤川球児は携帯を取り出し、決断を伝えるために電話をかけ始めた。これまで世話になった人に、自分の言葉で伝える。それは大事な儀式だった。

 球団との数度にわたる話し合いで、8月31日に球団が今季限りでの現役引退を発表し、9月1日に西宮市内のホテルで記者会見に臨む段取りが決まった。

 発表前に、報告をすべき人にきちんとしなければならない。最も多くバッテリーを組んだ監督・矢野燿大、阪神復帰を強く求めた前監督・金本知憲、そしてJFKの生みの親の元監督・岡田彰布…。電話を受けた人は揃って「藤川球児」の着信表示に、決断を悟った。シーズン中のこの時期、軽々に電話をしてくる男ではない。藤川はそういう男だと、みんな分かっていた。

 報告したくても、できない人もいた。入団時の監督・野村克也、そしてプロ初勝利のときの監督・星野仙一。2人とも天国に行ってしまった。現役生活22年、多くの出会いがあり、そして別れもあった。

 野村の訃報に接したのは今年2月の沖縄・宜野座のキャンプ中の出来事だった。プロ野球選手としての最初の監督が死去した年に、自身が引退する。これも巡り合わせかもしれなかった。

 「すごく残念です。言葉がないです。野球選手である前に、一人の社会人として、日常生活をしっかり送ることが大事だと、18歳のときにすごくいい指導をしていただいた。人間教育をしていただいたから、今があると思っている」

 藤川はキャンプ地で一言一言を確かめるように、コメントをしていた。機会を見つけては、野村や沙知代夫人の話を聞くのが楽しみだったとも明かした。野球選手としての岐路に立ったときに相談をしたこともあった。22年前の出会い。それが野球人・藤川球児の始まりだった。 

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2020年11月14日のニュース