【タテジマへの道】坂本誠志郎編〈下〉「現場の監督ができる子」満場一致で明大主将に

[ 2020年5月10日 15:00 ]

10年7月25日、大阪大会でPL学園との激戦でフル出場した履正社時代の坂本誠志郎

 スポニチ阪神担当は長年、その秋にドラフト指名されたルーキーたちの生い立ちを振り返る新人連載を執筆してきた。今、甲子園で躍動する若虎たちは、どのような道を歩んでタテジマに袖を通したのか。新型コロナウイルス感染拡大の影響で自宅で過ごす時間が増えたファンへ向けてスポニチ虎報では、過去に掲載した数々の連載を「タテジマへの道」と題して復刻配信。第14回は15年ドラフトで2位指名された坂本誠志郎編。今日は(下)を配信する。

 履正社入学まで軟式野球だった誠志郎にとって都会の有名強豪シニアで活躍するなど既に硬式球にも慣れている同級生たちは同じ新入部員に思えなかった。1学年上には後にヤクルトに1位指名され、いまでは球界を代表する打者になった山田哲人もいた。小さな養父の街では伝え聞くしかなかった全国レベルの野球を肌で感じた。

 不思議と気後れはなかった。むしろ胸躍った。入学後、しばらくは実家へ電話するたびに両親に「○○のバッティングがすごいよ」と興奮しながら伝えた。

 初めて経験する1人暮らしも周囲の助けで不安はなかった。学校と下宿するアパートのちょうど中間地点にあった居酒屋が栄養補給の拠点になった。卒業した野球部OBの母親が経営していて現役部員は500円のワンコインで食事を出された。「飽きないようにメニューも工夫してくれた。思いっきり食べられたおかげで食事面で苦労はなかった」。高い目標があり、野球に専念できる環境もあり、みるみると成長を遂げた。

 岡田龍生監督は「入ってきたときから周りが見えているし、精神的にも落ち着いている」と評し、「捕手一筋で育てよう」と早い段階から決意した。1年夏には早くもベンチ入りを果たし、秋には背番号2を付け、先発マスクを任された。

 本人も、両親も、監督も「ベストゲーム」と口をそろえた一戦は2年夏に訪れる。大阪府大会、PL学園との準々決勝。秋のドラフトで中日から2位される吉川大幾(現巨人)らを擁した優勝候補を相手に9回に2点差を追いつき、延長10回の熱戦を8―7で制した。

 計6人の2年生が先発出場した若い布陣の中で誠志郎もフル出場。履正社が夏にPL学園に勝ったのは初めて。「自分の中でも強い印象がある」。いまも忘れられない激闘になった。

 打倒PLを果たした勢いそのままに甲子園切符を勝ち取った。初めて踏んだ聖地でも計2試合を「8番捕手」でフル出場。初戦の2回戦、天理戦4打数3安打の活躍。2―5で敗れた3回戦では来季から同じユニホームを着る同世代の聖光学院・歳内宏明と対戦し、3打数無安打だった。

 山田ら先輩が抜け、最上級生となった秋には主将にも任じられ、責任もさらに増した。リード面だけでなく声のかけ方など多方面への目配り気配りで視野を広げた。3年春も2季連続で甲子園のグラウンドに立ち、「6番捕手」でフル出場してベスト4まで進出。最後の夏は大阪大会の準決勝で1学年下の大阪桐蔭・藤浪晋太郎に1失点完投を許して1―5で敗退も「やり切った」と充実感を覚えた。数々の強敵たちとしのぎを削った高校野球生活に悔いはなかった。

 東京六大学リーグでのプレーを希望して明大進学。日大三・高山、広陵・上原ら名門高校出身の同期がいた中、善波達也監督は「現場の監督ができる子」と誠志郎の気質にほれた。抜てきも早かった。初出場は1年春季リーグの最終節。立大1回戦で先発マスクで送り出され、翌2回戦も続けて出た。上級生とのバッテリーでも慌てる様子はない。視野も広く、自分の言葉で思いを伝える沈着な姿が捕手出身の監督には印象的だった。

 おのずと周囲の信頼は増し、1年秋には正捕手の座をつかんだ。2年は春秋でベストナインを獲得。チーム内だけでなくリーグ内でも存在感を見せ始めた。

 13年7月に開催された日米大学野球。善波監督が監督を務めた大学日本代表に選出された。計4人の捕手陣で2年生は1人だけ。他3人は全員4年生で秋に阪神、DeNAからドラフト指名される福岡大・梅野隆太郎、亜大・嶺井博希がいた。特に亜大で主将を務める嶺井のキャプテンシーには目を奪われた。

 「代表ではキャプテンではなかったけど、時には下から盛り上げ役を演じたり、必要な時には普段のキャプテンシーを発揮したり。状況に応じて言葉の使い方を変えたりしていて、感じるものがあった。キャプテンとしてチームを押したり、退いたりできることが重要なんだと思った」

 3年秋の明治神宮大会を準優勝で終え、新チームを迎えるに際して監督の最初の仕事は新主将選びだった。就任以降の7年間では引退する4年生一人一人から意見を聴き取った上で選んできた。そんな善波流を初めて必要としなかった。個別に話を聞くまでもなく4年生からは「坂本で」の声が一致して届いた。

 初選出以降は常連となっていた大学日本代表でも同じだ。今年7月に出場したユニバーシアード(韓国)では主将として大学生による侍ジャパンの主将を務め、台湾と優勝を分け合ったチームを引っ張った。

 体がズバ抜けて大きいわけではない。50メートル6秒台で俊足の持ち主でもない。飛び抜けた長打力もない。父・龍二さんに幼い頃からたたき込まれた「野球は半分は身体で、半分は頭でやるものだ」の教えをずっと大切にしてきた。考えながら、野球を広く深く見て、また考える―。その積み重ねで大学球界を代表する捕手になった。

 「高校からは周りのレベルも高くなった。プレーで中心にいたいという気持ちを持ちながら、でも、他にもチームに貢献できることがあるんじゃないかなと感じてきた。投手を勝たせることが捕手としての何よりの面白さだと思う」

 兵庫県の小さな田舎町で野球を始めた少年は10日に22歳の誕生日を迎える。新たな挑戦へのスタートラインに立った。(2015年11月5日~6日)


 ◆坂本 誠志郎(さかもと・せいしろう) 1993年(平5)11月10日生まれ、兵庫県出身の21歳。小1から野球を始める。履正社では1年秋から正捕手で、2年夏と3年春に甲子園出場。明大では1年春からリーグ戦に出場し2年春と秋にはベストナインを獲得。高校、大学、大学日本代表で主将を務めた。1メートル76、78キロ。右投げ右打ち。

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