元阪神キーオ氏が死去、64歳…87年から通算45勝中巨人戦で13勝、低迷期支えた助っ投

[ 2020年5月4日 05:30 ]

88年4月14日、中畑(右)と対戦するキーオ氏
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 かつて阪神でエースとして活躍したマット・キーオ氏が1日(日本時間2日)にカリフォルニア州南部で死去したと2日(同3日)、アスレチックスが発表した。64歳だった。死因は不明。キーオ氏はア軍の球団特別補佐を務めており、同球団の元GMであるビリー・ビーン上級副社長は「彼は忘れ難い印象を残した。偉大な野球人でアスレチックスの誇りだった」とコメントした。

 阪神の低迷期を支えた助っ人だった。父・マーティ、叔父・ジョーの両氏もメジャーリーガーだったキーオ氏は、ア軍時代の78年にオールスターに出場。メジャー通算58勝の実績を引っ提げ、87年に阪神に鳴り物入りで入団した。同年にプロ野球史上初めて、来日1年目の外国人選手として開幕投手を務めた。

 阪神は85年に日本一に輝くも、その後は成績が低迷。キーオ氏は1年目に11勝を挙げると、3年連続2桁勝利をマークするなど孤軍奮闘して投手陣の屋台骨を支えた。当時の日本球界には珍しい縦に大きく割れるナックルカーブが武器で、口ひげがトレードマーク。マーティ氏が68年に南海でプレーした「父子鷹」でもあり、キーオ氏も13歳で一緒に来日し神戸の学校に通った。報道陣にも日本語を交えて対応するなどの親日家で、「ちょっとマットキーオ(待っときいよ)」などのダジャレも飛ばした。

 阪神では通算45勝で、日米通算103勝。巨人戦で計13勝を挙げるなど伝統の一戦でも力を発揮した。在籍4年間でチームは最下位3度だったが、そんな中で懸命に投げ続けたキーオ氏の勇姿は今もファンの脳裏に残る。

 ◆マット・キーオ 1955年7月3日生まれ、米カリフォルニア州出身。73年ドラフト7巡目でアスレチックス入団。77年にデビューし、ヤンキース、カージナルスなど計5球団に所属。メジャー通算成績は215試合で58勝84敗、防御率4.17。父・マーティ氏も68年に南海でプレーしており、親子で本塁打を放った。阪神退団後はメジャー復帰できなかった。92年に打球が頭部に当たった影響で飲酒傾向があったとされ、07年12月には飲酒トラブルで逮捕された。

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