【タテジマへの道】秋山拓巳編 13キロのダイエットで球速UP

[ 2020年5月4日 15:00 ]

2009年、夏の全国高校野球、八千代東戦で完投勝利を挙げた西条・秋山拓巳

 スポニチ阪神担当は長年、その秋にドラフト指名されたルーキーたちの生い立ちを振り返る新人連載を執筆してきた。今、甲子園で躍動する若虎たちは、どのような道を歩んでタテジマに袖を通したのか。新型コロナウイルス感染拡大の影響で自宅で過ごす時間が増えたファンへ向けて、過去に掲載した連載を「タテジマへの道」と題して復刻配信。第12回は、09年ドラフトで4位指名された秋山拓巳編を配信する。

 1メートル86、92キロ。高校生離れした体つきとそのパワーから、つけられたあだ名は「伊予ゴジラ」。誰もがうらやむ体格だが、秋山の高校生活は毎日が自分との闘いだったのかもしれない。

 育ち盛りの高校生。夏場は、家に帰ればまず冷蔵庫を開け1~2リットルの牛乳を飲み干す。夕飯に母・みゆきさんが用意する3合の白飯も軽くたいらげていた。体はみるみるうちに大きくなっていった。転機となったのは2年の8月に行われた新人戦。マウンドに立った秋山だったが、今治西に4―11でコールド負けを喫した。その時の体重は108キロ。「自分でもビックリしました」。その後は真夏の猛暑の中、グラウンドコートを着て走り込みを行うのが日課となった。

 しかし、10月秋の県大会終了後に腰痛が出始め、12月半ばには本格的な痛みに変わっていった。「大きいから体に負担がかかり、肩、腰、ひざ、足首などによく痛みが出ていた」と田辺監督。今年2月から本格的な絞り込みが始まった。

 医者からは食事を変えるように勧められ、食卓には、みゆきさんが栄養バランスを考えた特製メニューが並んだ。「太らせたのは私のせいなんです。好き嫌いがほとんどない子なので。脂を抜いたり和食中心のご飯に変えました」。毎日飲んでいた牛乳も「人によっては骨にカルシウムが回らない人もいるらしく、僕はそのタイプで牛乳を飲んだ分だけ脂肪になっていた」とお茶と水に変えた。ご飯も3合から1合に減らし、徹底した体調管理で13キロのダイエットに成功した。

 体を絞ったことにより体のキレも増し、球速もアップ。今年7月28日の愛媛大会準々決勝、帝京第五戦では自己最速149キロを更新する150キロをマーク。血のにじむ努力が結実した瞬間だった。「3年間で初めて故障なく練習ができたことが大きい。それはダイエットで体重をコントロールできたから。よく頑張ったと思いますよ」と田辺監督は言う。

 現在は下半身強化のため、チームメートとともに走り込み中心のメニューを行っている。「体重はもう少し軽くしたいですね」。プロでの大成は、ウエートコントロールが鍵を握っている。(2009年12月10日掲載、あすから大山悠輔編)


 ◆秋山 拓巳(あきやま・たくみ)1991年(平3)4月26日、香川県丸亀市生まれの18歳。小1時に軟式野球の「今津スポーツ少年団」に入り野球を始める。小3時に愛媛に引っ越して「西条リトルリーグ」、中学校では「西条シニアリーグ」に所属。西条高では1年秋からエース。3年春と夏に甲子園出場。1メートル86、92キロ、右投左打。

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