【復刻対談】信子夫人とは「正反対 あなたは与えられたことをキチッと理詰めでやるタイプ」

[ 2020年4月26日 05:30 ]

復刻 落合監督&信子夫人“ぶっちゃけ対談”(3)

対談する信子夫人
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 2011年に中日を球団史上初の連覇に導き、落合博満監督(当時57)はユニホームを脱いだ。このシーズンでの退任が発表された9月22日以降の快進撃で就任8年で4度目の頂点に立った。なぜ電撃退任は発表されたのか。監督就任8年間の思い出や、落合竜の原点は…。11年10月19日付のスポニチに掲載された、落合監督と支え続けた信子夫人による特別対談「落合監督&信子夫人“ぶっちゃけ対談”」を、当時の紙面の情報そのままに復刻します。

 ――4連覇もできたとの思いが。

 博満 「一番強かったのは06年。これは強かった。07年も、無理すれば優勝できたと今でも思う。ただ、この年はCS初年度で、何が何だかよく分からなかった。“ここでムチ打って、失敗したら何にもならねえな”と思ってしまった。その制度の最初の年ってのはやっぱりまごつく。05年も交流戦元年だろ。交流戦がなかったら05年も勝ってるよ。04、05、06、07年と4連覇してたんじゃねえか。でも、やっぱり06年が一番強かった。だから日本シリーズで日本ハムに負けるとは思わなかった。逆に07年はハムに負けると思ったんだけどな」

 信子 「不思議なもんね」

 博満 「絶対的戦力があるから勝てるって保証はない。ある程度、心配事があって慎重に入った方が、勝ち運はあるのかも分かんない。今までのオレはそうだもん。この前の4連戦(10~13日、ヤクルトに4連勝)なんて心配で、心配で。何とか吉見は勝てるかなってぐらいで、残りはどうなるかって思ってたよ」

 ――最後まで信子夫人と二人三脚。

 信子 「当初、監督をやるのにOKを出したのは私だから。球場には行ける限り行った。まあ、聞き手だよね。いろいろストレスもあるだろうしね」

 博満 「息子(福嗣さん)も大きくなったし、嫁ももらったしな。そうじゃなきゃこんなに来られなかった。オレは仕事人間だから、他のことを一手に引き受けてくれた」

 信子 「正反対だからね。私は何もないところから“こうしよう、ああしよう”と、思ったことをすぐ実行するタイプだけど。あなたは与えられたことをキチッと理詰めでやるタイプだからね」

 博満 「ちょうどかみ合ってるんじゃないの。まぁこれからは“おまえ、何がしたい?じゃあそれしようか”というふうになるだろうさ」

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