好敵手なくして物語なし――王の一撃、長嶋の歓喜、崩れ落ちるは村山実

[ 2020年4月11日 09:00 ]

1971年7月14日、村山実(中央)からホームランを放った王貞治(次打者・長嶋茂雄)
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 【Lega-scene あの名場面が、よみがえる。~ON編~】昭和、平成の名場面や名勝負を本紙所蔵の秘蔵写真からお届けする新企画「Lega―scene(レガシーン)」。第7回は、ONの好敵手として立ちはだかったライバルとの物語の一ページです。

 巨人のV9時代、他球団のエースは「打倒ON」に死力を尽くした。阪神の村山実もまた、その一人だ。

 伝統の巨人―阪神戦。59年6月25日の天覧試合で、新人だった村山は長嶋茂雄に左翼ポール際へのサヨナラ本塁打を浴びた。長嶋との強烈なライバル関係の始まりだ。

 村山は節目の通算1500、2000奪三振目を長嶋から狙って奪った。だが、巨人には王貞治もいた。この2人を同時に抑えることがいかに困難か。

 写真は一瞬を永遠に封じ込める。71年7月14日の試合。勝利目前の村山を襲った王の一撃は後楽園球場の右翼席に飛び込んだ。同点の28号。次打者の長嶋も歓喜している。

 3人の喜怒哀楽が詰まった一枚はまるで映画のワンシーンだ。時代の主役はON。だが、マウンドでうなだれる村山を主役にすれば違ったストーリーが見えてくる。

 この年の巨人はV9の7年目。7勝に終わり、連続2桁勝利が「10年」で途切れた村山は、翌72年に現役を引退する。(敬称略)

 《1971年7月14日 選手兼監督で登板も…「全てわしの責任」》70年から選手兼監督を務めていた当時34歳の村山は、9―7の8回に5番手で登板。王に痛恨の2ランを浴びた。当時の本紙3面には試合後、記者の質問にもしばらく押し黙り「何も言うことはありません。みんな一生懸命やっとった。全てはわしの責任や」と足早にバスへ乗り込む描写がある。両軍計6失策が乱戦を招き、3時間37分を戦った末、時間切れで2試合連続引き分け。王の「とにかく良かった。昨日は凡退で進行係ばかり務めていた」と喜ぶ様子と対照的だった。

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2020年4月11日のニュース