【内田雅也の追球】ルースら克服の疫病禍――スペイン風邪を乗り越えた歴史

[ 2020年4月11日 08:00 ]

二刀流で活躍したベーブ・ルース

 野球にはパンデミック(感染症の世界的大流行)を乗り越えた歴史がある。1918年に始まった「スペイン風邪」と呼ばれるインフルエンザである。1920年までの3年間で5億人が感染、死者は1700万人とも5000万人とも言われる。人類最悪の感染症だった。

 日本も大きな被害を受けた。患者は2千万人を、死者は30万人を超えたと言われる。文芸評論家・劇作家の島村抱月も感染し犠牲となった。

 ただ、野球界で言えば、中等野球や大学野球への影響はさほど記録されていない。今のプロ野球組織はまだなかった。

 第1次世界大戦の最中で大リーグの選手たちも多く召集を受けた。戦地でまん延していった。選手不足から公式戦は9月1日で打ち切った。中止も検討されたワールドシリーズはレッドソックスがカブスを破り優勝、9月11日で全日程を終えた。

 このシーズン、一つの「伝説」が伝えられている。レッドソックスにいたベーブ・ルース(当時23歳)は投手として13勝、打者として11本塁打を放ち、史上初の2桁勝利・2桁本塁打をマークした。「二刀流」の大谷翔平(エンゼルス)が一昨年挑んだ記録である。

 伝説とはルースがスペイン風邪に感染していたという話だ。40度以上の高熱を出し、肺炎も患っていたと伝わる。疫病にもくじけなかったのだ。

 72歳になるスポーツコラムニスト、トマス・ボスウェルがこの前例を引き合いに<野球はかつてパンデミックから生き延びた>と書いている。大リーグが今季の公式戦延期を決めた後の3月18日、米紙ワシントン・ポスト(電子版)の自身のコラム欄で<デスパレートなファンよ>と呼びかけた。

 一時期、『デスパレートな妻たち』というアメリカのテレビ番組がはやったが、<デスパレート>は<絶望した>とか<破れかぶれの>といった意味だ。

 ベテランコラムニストは<絶望しているファンよ、野球は必ず帰ってくる>と書いたのだった。

 1918年当時、たとえばフィラデルフィアでは9月に開いたパレードがもとで6週間で1万2千人以上が犠牲となった。それでも翌1919年4月23日には開幕を迎えられた。この事実が今、直面し、乗り越えようとしている新型コロナウイルス禍での<励ましと忍耐>になる。今は辛抱の時期なのだろう。

 ボスウェルには『人生はワールドシリーズ』(1994年発行=東京書籍)というコラム集がある。表題の英語を直訳すれば「人生はいかにワールドシリーズに似ていることか」となる。人生を野球に、それもレギュラーシーズンではなく、いやワールドシリーズにたとえている。

 <野球は、実際のところ二つの競技とみなすこともできる。夏のゲームと秋のゲームである。前者は神話として人々に語り継がれていかれる、楽しい娯楽である。だが、後者は、それほど甘いものではない>。

 確かに人生は山あり谷ありの険しい道のりだ。ボスウェルの言葉は今のわれわれにも通じていると言える。人生も野球も、苦難を乗り越えた先に、素晴らしい日々が待っている。野球が帰ってきた時の歓喜を思い、デスパレートな今を過ごしたい。 =敬称略=(編集委員)

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2020年4月11日のニュース