【内田雅也の追球】練度のエクスタシー――キャッチボールでつかむ投球の要諦 阪神秋季キャンプ

[ 2019年11月7日 08:00 ]

阪神秋季キャンプ ( 2019年11月6日    高知・安芸 )

<阪神秋季キャンプ>サブグラウンドでキャッチボールする石井(撮影・椎名 航)
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 作家・司馬遼太郎は少年のころ、空き地で行ったキャッチボールについて<一種の練度の楽しみ>だと書いている。エッセー集『手掘り日本史』(文春文庫)にある。

 <あれほど一見つまらないやりとりはないと思いますが、しかしやっている当人たちにはそのやりとりの微妙なところに、法悦(ほうえつ)のようなものがある>

 法悦とは、辞書によれば<うっとりとするような喜び。エクスタシー>だ。つまり快感である。

 そんなキャッチボールによる法悦を見た。秋季キャンプ中の阪神で6日昼前、安芸のブルペンでの投球練習を終えた背番号121、育成選手の左腕・石井将希がサブグラウンドで今度はキャッチボールをしていた。相手は1軍投手コーチの福原忍だ。福原は腕の振り、特にリリースの動きを指導しながら、時に「そう! それそれ!」とほめる。すると、石井がにっこりと笑うのだ。

 あれが法悦の瞬間ではないだろうか。投げ手も捕り手も感じるエクスタシーである。福原は捕りながら語りかけていた。「あのね。そうやってボールを押し出すように投げると、こっちも捕りづらいのよ。ピシッと指にかけて離すとボールもギュンとくる」

 福原はキャッチャーミットをはめていた。「今のはダメ」はボソッと、「いいね」と言った時の捕球音はパンと響いた。

 <たとえば、いまの球は相手のグローブにスポッと入ったとか、あるいは相手の球をグローブにピシッと受けて、その受けたときの音、それが、身体へひびく感じまで含めて、同じ受けるにしても、1回1回が微妙にちがっており、当人たちはやりとりが単純であればあるほど、その微妙さをしんしんと味わっている>。野球には通じていないはずの司馬も、その要諦(ようてい)を肌で感じていた。

 キャッチボールが大切なのは少年野球も一流プロも変わらない。江夏豊も、今秋の臨時コーチ・山本昌も力説している。

 軽く投げているだけのように見えるキャッチボールで上達するのだろうか。この疑問は断固「する」である。

 <指先の動きに関する限り、速いボールは遅いボールを速くしたものと同じ>と、グレッグ・マダックス、トム・グラビン、ジョン・スモルツ……ら1990年代、大リーグ・ブレーブスの黄金投手陣をつくった名コーチ、レオ・マッゾーネが語っている=マイク・スタドラー『一球の心理学』(ダイヤモンド社)=。

 藤浪晋太郎も丁寧にキャッチボールしていた。その一端が石井で見えたわけだ。また、ブルペンで投げていた青柳晃洋は習得中のシンカーを捕手に立ってもらい、いわばキャッチボールで感覚をつかんでいた。そして、うまくいけば快感を得る。

 これが練習、練度である。=敬称略=(編集委員)

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2019年11月7日のニュース