不滅の400勝 金田正一さん死去 86歳 穏やかに 達成感のある顔で…

[ 2019年10月7日 05:30 ]

亡くなった金田正一氏(中央)は長嶋(左)、王(右)らと巨人で活躍した
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 プロ野球で唯一の400勝を達成するなど史上最高の左腕投手と呼ばれ、ロッテの監督も務めた金田正一(かねだ・まさいち)氏が6日午前4時38分、急性胆管炎による敗血症のため、都内の病院で死去した。86歳。通夜・告別式は近親者のみで行われる。喪主は長男賢一(けんいち)氏。後日「お別れの会」を行う予定だ。

 「カネやん」の愛称で親しまれたレジェンドがこの世を去った。都内の自宅前で報道陣に対応した長男で俳優の賢一(58)によると、前日はラグビーW杯「日本―サモア戦」を家族と一緒にテレビ観戦。「俺たちがワーッとか声を上げるのを、聞いてるだけだったと思うけど」。そして、この日早朝、娘2人にみとられながら息を引き取った。最期の様子については「穏やかですよ。とても達成感のある顔って言ったらいいのかな。とにかくすっとした顔」と明かした。

 7月中旬に都内の自宅で心筋梗塞で倒れた。金田氏は「本当に死ぬかと思った」と振り返り、その後も入退院を繰り返したが、地上波で巨人戦が中継されるときは、よく観戦していたという。昨年10月にはロッテで活躍した実弟の留広氏が71歳で死去。その際に「俺も、長くはないよ」と冗談めかしていたが、伝説の左腕も年齢には勝てなかった。

 1950年に愛知・享栄商高(現享栄高)を中退して国鉄(現ヤクルト)に入団。弱小球団だった国鉄で球界最高の投手として君臨し、強烈な存在感で「球界の天皇」とまで呼ばれた。1958年4月5日の巨人との開幕戦(後楽園)では長嶋茂雄から4打席連続三振を奪った。2人の勝負はプロ野球の隆盛の時期と重なった。

 プロ野球史上最多の通算400勝、4490奪三振は、永遠に破られない大記録とされる。長身から投げ下ろす速球と大きなカーブを武器にプロ2年目から14年連続で20勝以上をマーク。65年に巨人に移籍。厳しい鍛錬を積む姿はナインの模範となり、9連覇の礎になった。69年に現役引退し、背番号34は巨人の永久欠番となった。

 引退後は2度にわたりロッテの監督に就任し、74年には日本一を達成。「カネやんダンス」など派手な動作と言動で人気を集めた。78年に辞任後は野球評論家、タレントとして活躍。88年に長嶋茂雄氏とともに昭和生まれで初の野球殿堂入りを果たした。日本プロ野球名球会を設立し代表幹事も務めた。

 キャンプでは自ら食材を買った「金田鍋」で体をつくり、安全面を考えて外車に乗り、専用運転手を雇った。生活面の意識の高さは「昭和の時代」で傑出していた。豪快であり、人情にも厚い。こんな投手はもう二度と出てこない。

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