数々のカネやん伝説 球界初のアメ車、乱闘で助っ人の顔面に蹴り、「180キロ出ていた」

[ 2019年10月7日 05:30 ]

74年4月27日、本塁上でのラフプレーに激怒したロッテ・金田監督(中央、34番)が太平洋・宮寺を足蹴りにしようとする
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 プロ野球で唯一の400勝を達成するなど史上最高の左腕投手と呼ばれ、ロッテの監督も務めた金田正一(かねだ・まさいち)氏が6日午前4時38分、急性胆管炎による敗血症のため、都内の病院で86歳で死去した。

【金田伝説アラカルト】
 【下痢翌日の完全試合】57年8月21日の中日戦は前日に下痢を発症して体調を崩した中で達成。9回1死で相手打者のハーフスイング判定をめぐって中日が抗議し、激高したファンも乱入した。約45分の中断があったが、再開後は打者2人をいずれも空振り三振。中断中にネット裏記者席で「中日の選手は私の大記録にケチをつける気だ」と怒りをぶちまけた。

 【米国車】「外車だと事故に強い。中が広いから寝ることもできる」と球界で最も早い時期から米国車に乗り、専用の運転手も雇った。

 【引退会見】通算400勝を達成した69年の11月30日に現役引退を表明。会見では長年酷使した左腕を「見てくれ、こんなに曲がってしまって、どうやっても伸びないんだ」と披露した。この場面は漫画「巨人の星」にも描かれている。

 【乱闘】監督を務めたロッテの第2次政権時の91年5月19日に、近鉄のジム・トレーバーが内角攻めに激高して大乱闘。暴れて倒れた同助っ人の顔面に蹴りを入れた。また、乱闘では右腕で殴ったり、バットを持って威嚇したことも。90年6月23日の西武戦では審判員に足蹴りをし、退場処分となった。

 【名球会会長辞任】会長を務めていた名球会でワンマン運営だという批判が上がり、09年に代表取締役を辞任。

 【180キロ?】スピードガンが普及していなかった現役当時の自身の球速について、引退後に「180キロは出ていたんじゃないか」と各メディアで豪語。球が速過ぎ、投本間の距離が短いと疑われたこともあったという。

 【自ら「ピッチャー金田」】シーズン19勝で迎えた60年9月30日の中日戦。先発の島谷が、勝利投手の権利がかかる2―0の5回に無死三塁のピンチを招くと、「ワシが行く」と自ら投手交代を審判に告げ、そのまま投げきり、10年連続で20勝目を手にした。結局、島谷はプロ6年間、通算0勝で現役を終えた。

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