ヤクルト再建の切り札 高津臣吾新監督は忍耐力とバイタリティーあふれる男

[ 2019年10月3日 11:06 ]

笑顔でガッツポーズする高津新監督(撮影・大塚 徹)
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 監督になるのが、ちょっと遅い。小川監督の退任を受け、2軍監督から内部昇格したヤクルトの高津新監督のことだ。15年に1軍投手コーチを務め、救援防御率1位に導いてリーグ優勝に貢献。当時の真中監督よりも2学年先輩。真中監督が退任した2年前からは2軍監督を務めていただけに、このときに内部昇格してもよかった。それはさておき、最下位からの巻き返しに向け、手腕を発揮することになった。キーマンを問われ「僕じゃないですかね」と笑って言うところに、改めてこの男の強さを感じた。

 02、03年の現役時代を取材した。当時、「大魔神」こと佐々木主浩に次ぐ、通算200セーブを達成したときの言葉が印象深い。

 「目に見えない重圧に押しつぶされそうになったこともある。でも、逃げたいと思ったことはなかった」。守護神はチームの勝敗を左右し、抑えて当たり前。打たれれば全責任を背負う立場だ。忍耐力がなければ務まらず、当時の若松監督は「何をおいても精神力が凄い」と言っていた。セーブを挙げた試合よりも打たれたときに取材する機会が多かった。誰も取材に行きたがらないからだ。嫌な役割だなと思いつつも、この男はいつも逃げずに応じてくれた。顔を真っ赤にしながら。

 守護神の必要条件と言える150キロを超えるような速球はない。サイドスローの技巧派。抜群の制球力に、宝刀シンカーがあった。浮いてから沈む魔球。この決め球を武器に、守護神であり続けた。持病である右肘の痛みにも耐え続けた。「肘の状態で天気が分かるんだよね」。クリームソーダを飲みながら、ちょっぴり自慢げに笑ってそう言っていた。

 バイタリティーも凄い。ヤクルトの黄金期を支えた男は海を渡ってメジャーでも活躍した。古巣に復帰し、戦力外通告を受けても引退せず、韓国、台湾でも投げ続けた。日米通算313セーブ。ストッパーとして一時代を築きながら人生渡り鳥である。独立リーグのBC・新潟では選手兼監督を務めた。こんな経験豊かな人材はおらず、衣笠剛球団社長も「野球の全て、スワローズの全てを知っている」と期待する。

 ヤクルトでは、31年ぶりの投手出身監督。崩壊している投手陣の再建にうってつけである。ストッパーの経験上、勝つことがどれだけ難しいか誰よりも分かっている。そのために何をすべきかも分かっているだろう。お手並み拝見だ。(記者コラム・飯塚 荒太)

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