阪神メッセ、初代通訳が明かす成功秘話 驚異の探究心「本当に日本が好きだった」

[ 2019年9月30日 06:00 ]

メッセンジャーの通訳をする永田通訳
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 10~12年に阪神・メッセンジャーの初代通訳を務めた永田俊紘氏(36=現ヤクルトアナリスト)がエースに登り詰めるまでの秘話を明かした。

 
 ランディと初めて会ったのは、10年1月に伊丹空港に初来日した時でした。その場で部屋を借りて記者会見をして帰りに寿司を食べに行きました。ランディは食べたことのないネタもすごく食べて。一緒に来日したフォッサムは食べられなかった生きた白魚も平気で食べてましたから。食事に関しては、何でも挑戦してましたよね。

 1年目は中継ぎで開幕からなかなか結果が出ませんでした。印象的だったのは4月中旬の東京ドームの巨人戦。坂本選手に満塁本塁打を浴びてフォッサムの白星を消してしまってね。次の日が横浜への移動日でランディがヘコんでるから食事に誘って行ったのが「吉村家」なんです。そこから10年間通い詰めた、一番大好きなラーメン屋になりましたね。おそらく、打ちひしがれた心にあの吉村家の濃いスープがしみたんじゃないかなと…。

 一度2軍降格になって、もう先発しか生きる道がなかったと思います。当時2軍にいた久保コーチに教えられたことをやって、1軍に上がってきた時に笑顔で合流してきたんです。ふてくされて来ると思っていたのでこれはいけると感じました。

 通訳として、最も印象に残ってるエピソードが先発に転向して2年目だった11年。前半戦から成績が良かったのに、7月の球宴明けのローテーションでは最後の順番で…今だから言えますが、完全にキレてました(笑い)。そんな時、7月30日の横浜戦の試合前のブルペンで受けていた捕手の藤井さんが、ランディの気持ちを察知していて。

 胸をポンと叩いて“お前、悔しいんやろ?それをマウンドで全部見せてやれ”と激励されて。あれは訳しがいがある言葉でしたよね。その試合で7回無失点で三浦(大輔)さんに投げ勝って。それまでも6回70球で交代させられたり、まだ信頼がなかったんです。悔しさをかみしめながらヒーローインタビューを受けていたのも通訳として知っていたので。

 ここまで日本で活躍できた要因は間違いなく研究心です。僕がランディの家に招かれて食事をしたことがあったんですが、自分の投げない試合でもずっと相手の打者を見てるんですよ。それもテレビに食らいつくように。だから、2軍から昇格したばかりの選手の顔と名前を全部覚えてるんです。試合前のミーティングでも僕が知らないような選手でも“この前打っていたな”とか頭に入ってましたね。野球に対する記憶力が尋常じゃない。

 ランディから「メジャー」という言葉は聞いたことないですし、本当に日本が好きだったんだと思います。引退会見で泣くとは思わなかったですけどね。それだけ甲子園のマウンドは彼にとって重要だったんだなと。

 引退を発表してすぐにランディからメールが届いたんです。ベネッサ(夫人)と寿司屋に行ってたみたいで、ウニの写真が送られてきたんですよ。僕もしんみりするのは嫌なんで“めっちゃ食べたいわ”と軽い感じで返したんですけど、次に来た返信に“本当に今までありがとう。トシがいなかったらうまくアジャストできなかった。いろんなところに行って楽しかったぜ”と書いていて。今までそんなこと言ってこなかったので驚きました。

 最後は中継ぎに戻って1イニング全力でやって欲しいという気持ちもありましたが、潔かったですね。今は本当にお疲れさまと言いたいですね。また、いつかランディとじっくり野球の話をしたいです。(談)

 ◆永田 俊紘(ながた・としひろ)1983年(昭58)3月25日生まれ、東京都生まれ、鳥取県倉吉市出身の36歳。09年から阪神で通訳、国際スカウト、戦略分析担当を経て今季からヤクルトでアナリストを務める。

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