球界の未来を背負う「侍ジャパン」 日本ハムの姿勢に見える“リスペクト”

[ 2019年4月1日 09:30 ]

千葉・鎌ケ谷で守備練習を行う日本ハム・清宮
Photo By スポニチ

 国際大会があるたびにプロ野球界では水面下で「綱引き」が行われる。選手選考前は「うちは○○を出すから○○は勘弁してくれ」、選考後も「○○は開幕投手だから○球は投げさせてほしい」など…。そんな要望が直接、間接的に選手を預かる日本野球機構(NPB)や代表監督に伝わる。「野球版W杯」でもあるWBCは開幕直前の3月開催で、毎度のように辞退者が続出する。「日の丸は名誉なこと」と頭では分かっていても、現在のままでは誰もが納得する「ドリームチーム」など組むことはできない。

 記者は日本ハム担当。オープン戦期間だった3月3日のDeNA戦で清宮幸太郎内野手(19)が9回打席でファウルした際に右手有鉤(ゆうこう)骨を骨折した。全治3カ月で同9、10日に侍ジャパンの一員として出場予定だったメキシコ代表と強化試合も辞退。現在は千葉・鎌ヶ谷の2軍施設でリハビリ中だ。栗山英樹監督(57)は「俺が悪い。トレーナーに嫌な思いをさせてしまった」と責任を一身に背負う。

 栗山監督には強い思いがある。20年東京五輪で「野球の楽しさ」を世界に発信するため、清宮を「日本代表の4番で出場させる」ことだ。そのためにもメキシコ代表との国際試合を経験させたかった。今回の故障の発端は昨年11月の沖縄・秋季キャンプで発症した右手首痛。その後も回復と痛みの再発を繰り返していた。代表戦も見据えて休養も与えながら慎重に歩を進めた中での骨折だけに遅かれ早かれ故障した可能性は高い。少なくとも球団、栗山監督、そして清宮は、球界の未来を背負う侍ジャパンを念頭に置きながら、最後まで最良の道を探っていた。

 少し古い話になるが、17年11月12日に日本ハムは「アジア・プロ野球チャンピオンシップ」に出場する侍ジャパンの調整相手として宮崎で練習試合を行った。チームはそのために沖縄での秋季キャンプを早めに打ち上げて宮崎に移動。事前にNPB側から「滞在費はこちらでもちます」と連絡が来たが、球団幹部は「こちらが試合をしてもらう立場」と拒否し、全額を負担した。そんなやり取りでも、日本ハムという球団の日本代表へのリスペクトが垣間見える。

 記者が巨人担当だった09年、当時の原辰徳監督がWBC日本代表監督に就任した。様々な制約と重圧がかかる監督選考が「爆弾ゲーム」のように難航し、最後の最後に白羽の矢が立った。言いたいこともあっただろうが、就任会見では「野球界のために引き受けた」とだけ語った。結果は世界一。シーズンも日本一に輝いた。

 野球の神様がいるのであれば、近い将来、日本ハムにも「ご褒美」が用意されるはずだ。(記者コラム・山田忠範)

続きを表示

2019年4月1日のニュース