阿部 最高の金字塔2000安打 巨人生え抜き5人目

[ 2017年8月14日 05:30 ]

セ・リーグ   巨人1―4広島 ( 2017年8月13日    マツダ )

<広・巨>会見で2000本安打のボードを掲げる阿部
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 「最高」の金字塔だ。巨人・阿部慎之助内野手(38)は13日の広島戦で9回に右前打を放ち、史上49人目の通算2000安打を達成した。巨人の生え抜きでは史上5人目、大卒では長嶋茂雄(終身名誉監督)以来2人目となった。捕手出身としても4人目の快挙。巨人史上最強の捕手として活躍したスラッガーが、プロ17年目で勲章を手に入れた。

 2000本目は、プロ初安打と同じフォークを打った。9回1死。阿部は追い込まれながら右前に運ぶ。広島・新井、同僚の坂本勇から花束を受け取った。ヘルメットを脱ぎ、頭を下げる。スタンドで観戦した悠夫人と3人の子供に左手を振った。09年に誕生したマツダスタジアムでは初めての達成者に惜しみない拍手が送られた。

 「カープファンの方々から、“慎之助コール”をもらえて本当に野球ファンは温かいと思った」。代走を送られ、ベンチへ戻ると、高橋監督から記念球を手渡された。

 「(2000安打を)目標にできる選手ではなかったと自覚していた。打ててしまったな、というのが正直な気持ち。(誇れるものは)とにかく野球が好きだということかな」。プロ17年目。捕手として万全な体でプレーしたシーズンは数えるほどしかなかった。肩、首、腰、膝…。「体はヤバいことが多いけど、その中でどうやって最高のプレーをするか、だから」。今では一塁を守るが、捕手出身としては野村、古田、谷繁に次ぐ史上4人目の金字塔。左打者は一人もいなかった。

 「左打者・阿部慎之助」は偶然誕生した。野球を始めた頃は右打ち。小2の頃、突然、右目の視力が落ちた。父・東司(とうじ)さんに勧められ、バッティングセンターで左打ちを試すと、バットに当たる。放課後、1日250球の打ち込みが日課だった。「速い球でも普通に打っていたみたい」。フォームの原型はこの時期に固まった。

 天才ではなく、努力型。「素質だけじゃ絶対にできない」という思いが根底にある。中学時代には自宅に設置されたネットに向かって1800球のティー打撃をこなしたこともある。高3夏、親戚を訪ねた米ニュージャージー州。車で30分の距離にヤンキースタジアムがあった。元本塁打王で同じ左打者のダリル・ストロベリー(ヤンキース)の打球に衝撃を受けた。大興奮し、夜中の坂道でダッシュを繰り返した。

 01年、開幕マスクをかぶり、プロ初安打。順風満帆に見えたスタート。人知れず悩んでいた。「投手に返球できない…」。キャンプ中のブルペンで投手がよそ見をしている時に返球し、後ろの壁に当たった。その光景が「トラウマになった」という。初めてイップスになった。試合を終え、ジャイアンツ寮に戻れば地下の練習場でキャッチボールの日々。打撃どころではなかったが「打てる捕手」として成長していった。

 巨人の大卒選手では1年目の監督だった長嶋茂雄以来の偉業。通算400本塁打も残り14本に迫っている。

 「俺が打てなかったら一塁を守れる外国人と勝負になる。だけど王さん、長嶋さんの時代のように、巨人の一、三塁は日本人がいいな。巨人が好きだから。その思いは変わらない」。巨人の4番は、まだ守る。努力は、まだやめない。 (川島 毅洋)

 ◆阿部 慎之助(あべ・しんのすけ) 1979年(昭54)3月20日、千葉県生まれの38歳。安田学園から中大に進み、00年シドニー五輪出場。同年ドラフト1位で巨人に入団し、新人で開幕マスクをかぶる。強打の捕手として活躍し、15年以降は主に一塁で出場。07年から14年まで主将を務める。12年に首位打者、打点王でMVPを獲得し、正力賞受賞。ベストナインは9度、ゴールデングラブ賞は4度受賞。08年北京五輪、09、13年WBC出場。1メートル80、97キロ。右投げ左打ち。

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2017年8月14日のニュース