【内田雅也の追球】低迷抜け出せない阪神 ハムとの違いは“心のつながり”

[ 2016年7月7日 11:10 ]

雑誌「ベースボール・マガジン」創刊号。表紙写真は大下弘

セ・リーグ 阪神1―3巨人

(7月6日 東京D)
 日米通算200勝が目前に迫る広島・黒田博樹は毎試合、相当な覚悟を持って登板しているそうだ。自著『クオリティピッチング』(ベストセラーズ)で<1試合1試合「これが最後の試合だ」と思ってマウンドに上がれる>と記している。

 負ければ終わり、という甲子園への壮大なトーナメント戦を戦う高校球児のような、明日なき姿勢である。

 プロ野球には明日がある。ただし、日本ハム監督・栗山英樹からは「プロでも毎試合、夏の甲子園大会決勝戦の気持ちで戦えると思うけどね」と聞いた。惨敗した試合後にコーチ陣を集め、「これ、日本シリーズ第7戦でも、こうなってるの」と問い掛けたそうだ。

 この夜、2回表攻撃前の円陣を組み、鬼の形相で選手に怒鳴るように指示していた阪神監督・金本知憲が言いたかったのも、黒田や栗山が抱く姿勢ではなかったか。

 阪神が交流戦で日本ハムと戦った6月10日、札幌でサヨナラ負けを喫した時、栗山は「一番上しか見ていない」と語ったのを覚えている。この時、3位の日本ハムは首位ソフトバンクに10ゲームの大差がついていた。先の福岡で3連勝し、追撃態勢を整えつつある。

 後に金本も同じ「一番上しか見ていない」と語ったが、低迷から抜け出せずに苦しんでいる。この違いは何だろう。

 試合は前夜と同じく、同点の6回裏1死、四球から決勝点を許した。だが問題は得点力不足だ。安打は出るのだが、得点に結び付かない。打線のつながりの問題か。心のつながりはどうだろう。

 東京ドームの記者席には各テーブルにモニター画面がある。ここに映る阪神の選手たちがどうも表情をなくしているのが気になる。金本は喜怒哀楽が表に出ているが、選手たちに顔色がない。

 今年はベースボール・マガジン社の創立70周年で、6月17日には記念パーティーが開かれた。

 戦後1946年(昭和21)4月の月刊ベースボール・マガジン創刊号に「創刊のことば」がある。野球の魅力を<何と言っても勇敢なバッティング、かっ飛ばすことと、塁から塁を走るスピードの組み合わせ>とある。

 かっ飛ばす打撃、駆け抜ける走塁の爽快さも忘れてしまったような打者たちは、いま一度、原点に返ろうではないか。球児のようにひたむきに、ただ打ち、ただ走る。自然と感情も表情も出てくるだろう。 =敬称略=
 (スポニチ本紙編集委員)

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2016年7月7日のニュース