ロッテドラ2田中 プロ入りは京大のおかげ “考える力”が武器に

[ 2015年1月4日 08:30 ]

プロ入りを前に思いを語った京大・田中

 京大初のプロ野球選手になったロッテのドラフト2位・田中英祐投手(22)が本紙のインタビューに応じた。工学部で学業に追われた野球との「二刀流」生活。厳しい環境の中で「考える力」を養い最速149キロを誇る投手に成長した。京大生だったからプロ野球選手になれたことを明かした。

 ――京大初のプロ野球選手として、時の人になった。注目度は凄い。

 「想定はしていましたけど、ここま でとは…。まだ実際にプレーを見てもらったわけではないですから」

 ――昨年12月25日には卒論の中間発表を終えたが、国立理系学生の文武両道生活はハードだったと聞く。

 「卒論よりも3年生の時がめっちゃきつかったです。実験をやりながらのリーグ戦が特に」

 ――どんな生活サイクルなのか。

 「火、水、木曜日が実験。翌週の火曜日にリポート提出があるんです。リポートは木曜日に取りかかって一晩かかっ たり2晩かかったり。24時間やってい る図書館があるんで金、土曜日にめっ ちゃ頑張っていました」

 ――練習時間は。

 「試合前日の金曜日にキャッチボールしたり軽く投げる程度。ほぼボールに触れずに試合で投げるので肉体的にも精神的にもつらかった」

 ――その3年時に好成績を残した。秋季リーグ戦では防御率1・06でベストナインに選ばれた。

 「試合ではめっちゃ緊張しましたよ。でも、ちゃんと自分の仕事はしたかった。エースの役割を果たすという責任感で投げていました」

 ――小学時代は体操で五輪出場を目指した。

 「父が“団体競技の方が社会に出た時に役立つ”と行って野球に絞りました。納得はしていなかったけど、半ば強制的にでした(笑い)」

 ――中学受験のために猛勉強したのか。

 「小6になってから勉強時間がめっちゃ長くなりましたね。朝9時から夜9時まで塾で勉強していた日もあって。あれはめちゃくちゃでした」

 ――所属していた塩市少年野球団は。

 「事実上の休部状態。勉強に専念するために(両親に)強制的に辞めさせられました」

 ――中高一貫の進学校・白陵に進学。その頃から理系だったのか。

 「昔から考え方が理系っぽくて、理屈っぽいって言われていましたね。納得しないと嫌な性格なので。先生にも、“この問題は違う式で解いちゃ駄目なんですか”って食ってかかってました(笑い)」

 ――大学受験の勉強を本格的に始めたのはいつ頃?

 「高2の冬ぐらいです。高3になってからは家で夜中の0時ぐらいまで勉強していました」

 ――もともと京大工学部を志望していたのか。

 「最初は東大を目指していたんですよ。高校の監督から“絶対に東大に行け”って言われていたんです。六大学のレベルは高いし、神宮球場でやれるという理由で」

 ――なぜ京大に。

 「夏の大会が終わった直後の進路相談で、東大は厳しいということになって。京大は合格ラインだったので」

 ――一番の特徴は。

 「考えることですね。好きとか嫌いとかじゃなくて、もともと考えてしまうタイプなので」

 ――考える習慣は野球に生かされているのか。

 「長い時間をかけて数をこなす練習はできない環境だった。だからこそ、考えるということにたどり着いた」

 ――具体的に。

 「自分の中で“何で”ということを繰り返します。球が走っていないとしたら、疲れているのかな?体のどこが使えてないのかな?どこを鍛えれば良くなるのかな?って繰り返すことで、問題の根本の部分に行き着く」

 ――相手打者の攻略も理系思考?

 「それはないですよ(笑い)。普通のことだけど、あらかじめ各打者のデータを頭に入れて攻め方を決めてから試合に入る。2割ぐらいはその場で考えて投げる」

 ――間もなく卒業。京大に入って良かったか。

 「プロでやれることになったのも京大だったから。この環境だからこそ、“考える力”が一番の武器になった」

 ――「ロッテ・田中」の目標は。

 「具体的な目標は入ってから決めたい。ただ、一日でも長くプロの世界で活躍したいですね」

 ――どんな投手になりたいか。

 「そうですね~。その質問をされた人が“田中英祐みたいな投手になりたい”って答えてくれる選手ですかね(笑い)」

 ◆田中 英祐(たなか・えいすけ)1992年(平4)4月2日、兵庫県高砂市生まれの22歳。米田西小4年から「塩市少年野球団」で野球を始め、三塁手、外野手、捕手。白陵中で投手に。白陵高では1年秋からエース、2年夏の兵庫大会3回戦進出が最高成績。現役合格した京大では1年春から登板して通算8勝31敗。50メートル走6秒7、遠投110メートル。家族は両親と弟、妹。1メートル80、75キロ。右投げ右打ち。

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