悩める黒田 残りたい理由と戻りたい理由とは…

[ 2010年10月6日 06:00 ]

3年目の今季は自己最多の11勝をマーク。防御率3・39と安定した投球をみせた黒田

 3年契約が満了したドジャースの黒田博樹投手(35)が4日(日本時間5日)、スポニチの独占インタビューに応じ、注目の去就について揺れる心境を明かした。今季は自己最多の11勝をマークし、今オフのFA市場で争奪戦が繰り広げられるのは確実。しかし、現時点で右腕はメジャー残留か日本球界復帰かは全くの白紙という。この3年間で新境地を開拓したからこそ、黒田は悩んでいる。(聞き手・奥田秀樹通信員)

 ――メジャーでの3年契約が終了。今後の去就に注目が集まっている。
 「まずはメジャーの評価を聞いてみたい。それが現時点の素直な気持ちです。3年間、メジャーで投げたことに対する純粋な評価ですから。一部報道にあったように、日本に帰ると決まっているとか、そういうことは一切ないです」
 ――07年12月にドジャースと3年総額3530万ドル(当時約40億円)でサインした。球団は4年契約を提示したが、自身の希望で3年にした。
 「今は良かったと思っています。契約最終年で、仮にケガをして投げられなくなっても自分で責任を取ればいいと思って目いっぱい投げた。だから完全燃焼できた」
 ――今季はローテーションを守り、メジャー自己最多の11勝。防御率も3・39と安定した。メジャーで主流の動くボールも自在に操っている。
 「ツーシームは球場の湿気の違いや、東海岸と西海岸で違ったりするけど、それも自分の中で把握できつつある。汚いボールでも抑えた投手が凄い。きれいなフォーシームでいつも空振りが取れるなら苦労しないけど限界がある。それよりは動くボールで投球の幅を広げたほうがいい」
 ――そのツーシームも最近はシンカーと呼んでいるように、ボール自体も変わってきている。
 「日本では横にスライドする詰まらせるボールでした。しかし、メジャーの打者は詰まっても内野の頭を越えるどころか、外野の頭を越えることもある。それよりも安全なのはバットの下に当てさせるか、空振りさせること。だから今は角度をつけて落とすイメージ。シュートよりシンカー(沈む球)と口で言ったほうが、投げていてもイメージがつきやすい」
 ――今季途中からは浮き上がるカッター(カットボールの呼称)も投げている。
 「球速も落ちないし変化も大きくないので、打者は直前までカッターという認識はないと思う。左打者には浮き上がるのと、横に動くもの。右打者には少し沈むカッターを投げます。メジャーはスカウティングシステムが発達していてすぐに研究されてしまう。だから常に進化していかないと、やられてしまう」

 ――メジャーでもトップレベルの評価を集めているが、日本球界復帰も選択肢に入れる理由は。
 「日本に帰りたいとかではなく、純粋に今の投球スタイルを日本で投げてみたいという気持ちがある。いろんな勉強をして引き出しをたくさんつくった。現時点でシンカーやカッターを投げたりする投手は日本に少ないと思うので、打者も新鮮だと思います。こういう投球スタイルに興味がある日本の投手の力になれればいいかなという気持ちもあるんです」
 ――今35歳だがメジャーに来たことで選手寿命が延びたと感じている。
 「そうですね。日本は小さい頃からきれいなフォーシームを投げる練習をするけど、こっちはスタートから違う。もちろんフォーシームで結果を残す投手はたくさんいるけど、合わない投手もいる。僕が動くボールを見せることで違う方向に行けば、違った結果が出る可能性もあると気づいてもらえればいい」
 ――一方でメジャーの超一流の打者との対戦は日本では味わえない。それはメジャーでプレーを続けたい理由でもある。
 「超一流の打者を抑えるために今まで以上に何かしないといけないという気持ちになった。その結果、どういう球を投げるべきかいろいろ考えた。だから今年は満足いく投球ができるようになったのだと思います」
 ――一流投手と交流する機会もあった。今年7月はカージナルスのカーペンター(05年サイ・ヤング賞)に特別に時間を取ってもらい、カーブの使い方やメンタル面のアドバイスをもらった。
 「ああいう投手を見れば上には上がいると思うし、日本では経験できないこと。1年目にマダックス(通算355勝)にフロントドア(左打者の内角ボールゾーンからシュート回転で入れる球)の使い方を教わったときもそう。一流投手と話すことで、まだまだ進化できると思う」
 ――まずは11月上旬まではドジャースとの独占交渉期間になる。
 「3年間ドジャースのユニホームを着て、ずっと一緒だった仲間もいる。もちろん愛着はあります。ただ現時点ではドジャースはいろいろ問題(オーナーの離婚問題)を抱えているみたいですし、難しい状況下にある。僕自身、今は全く白紙の状態ですね」

 ◆黒田 博樹(くろだ・ひろき)1975年(昭50)2月10日、大阪市生まれの35歳。上宮から専大を経て、96年ドラフト2位(逆指名)で広島入団。04年アテネ五輪は2勝を挙げ日本代表の銅メダルに貢献。05年に15勝で最多勝、06年に防御率1・85でタイトル獲得。2ケタ勝利を6度記録してエースとして君臨した。06年シーズン中にFA権を取得したが宣言せず残留。07年オフにドジャース入りした。家族は妻と2女。1メートル84、86キロ。右投げ右打ち。父・一博さんは外野手として南海などでプレー。

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