名門力尽く…日産50年の歴史、ついに幕

[ 2009年11月22日 06:00 ]

準決勝で敗れ、グラウンドに一礼する日産自動車ナイン

 さらば、日産野球――。スポニチ後援第36回社会人野球日本選手権第10日は21日、京セラドームで準決勝2試合が行われた。今季限りで休部する日産自動車がタイブレークの延長13回に4点を勝ち越され、JR九州に2―6で敗れ、創部50年の伝統チームが最後の公式大会を終えた。

 ベンチ裏の通路にナインのすすり泣きが響いた。都市対抗2度、日本選手権1度の優勝を誇る名門が延長13回の末に散った。久保監督は「ここで50年の歴史に幕を下ろしたのかと思うと…。せめてあと1日、生き永らえたかった」と声を詰まらせた。試合は押し気味に進めていた。7回に船引の適時二塁打で1点を先制。1―1の8回は2死満塁と攻め、9、10回にも得点圏に走者を進めた。ただ、あと1本が出なかった。
 最後の打者となり、選手生活を終える30歳の吉浦主将は「全員で力の限りを出し切った。精いっぱいやったので、すがすがしい気持ち」とナインの心中を代弁した。深々と頭を下げる選手たちに、スタンドからは紅白のテープが投げ入れられ、対戦相手のJR九州の応援席からも温かい拍手が惜しみなく送られた。野球部の安田部長は「最後の雄姿をみんなに見せられてよかった」と感慨深げに話した。試合後、チームのバスに乗り込む選手たちの胸には折り紙でできた“メダル”が輝いていた。34歳のベテラン、青柳の愛娘・美咲ちゃん(6)が「メダルをあげたい」と選手全員の分をつくってきたものだった。妻・絵実子さん(30)も「感動をくれた。ありがとうと言いたい」と選手たちをねぎらった。
 横浜市の合宿所の応接室にはトロフィーや賞状が収まりきれないほど並んでいる。食堂には「存続」の奇跡を信じ、大会後の練習時間が書かれたホワイトボードもある。しかし、その合宿所も年内で取り壊される。
 最後に久保監督は言った。「(チームのシンボルの)青い鳥は優勝旗に止まることはできなかった。でも、いろんな人に共感を覚えてもらえたんじゃないかと思う」。都市対抗で4強入りし、今大会も見事な執念を見せた。最後に激しく燃えたこの1年は、永遠に語り継がれる。

 <メンバー約半数は移籍>部員26人のうち、約半数が他チームに移籍してプレーを続ける。エースの石田は住友金属鹿島、ドラフト候補の熊代は王子製紙、ルーキーの古野は三菱重工神戸に進む。一方でチームを支えた小山ら、ベテラン勢は社業に専念する。

 ▼西武・野上 日産自動車野球部OBとして休部となってしまうことは残念ですが、伝統のある野球部でプレーできたことを誇りに思います。
 ▼広島・梵 寂しいです。一番最後まで勝ち進んでもらいたい、それだけを祈っていました。残念です。
 ▼広島・青木高 寂しい気持ちでいっぱいです。それぞれが、やってきたことを別の道で生かせればと思います。僕もそのつもり。また、皆の力で一つになれる日が来れば…。

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2009年11月22日のニュース