引退危機乗り越え…斎藤が帰ってきた

[ 2008年9月17日 06:00 ]

 【ドジャース8―2パイレーツ】ドジャースの斎藤隆投手(38)が65日ぶりにメジャーのマウンドに戻ってきた。15日(日本時間16日)のパイレーツ戦の8回に登板し、1回で2三振を奪い無失点の力投。球団発表は「右ひじのじん帯損傷」だが、実際は「右ひじのじん帯部分断裂」という重症だった。手術を受けず、周囲の筋肉を強化するという手法で引退危機を乗り越えた守護神が大きな1歩をしるした。

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 ベンチでナイン全員が立ち上がり拍手で斎藤を迎えた。その中心にいたトーリ監督も柔和な笑みで右手を差し伸べた。7月12日のマーリンズ戦で右ひじ痛を訴え緊急降板してから65日。斎藤の目は涙でいっぱいだった。
 「急にあんなふうにされるとジーンときますよね。やめてくれと思ったんですけど…。みんなが本当に親身に、よく帰ってきたなと言ってくれて。いいボールはそんなになかったかもしれないですけど、気持ちを凄く込めて投げた」
 黒田の後を受け、8点リードの8回にマウンドに立った。1四球を与えたが、2三振を奪った。最速はいつもより5マイル(約8キロ)ぐらい遅い90マイル(約145キロ)止まり。だが、斎藤にとっては意味のある21球だった。
 7月13日に受けた精密検査の球団発表は「右ひじのじん帯損傷」。だが、実は「じん帯部分断裂」だった。医師からは移植手術も勧められた。だが、38歳の右腕は復帰まで1年半以上かかる選択を捨てた。「もしかしたらこれで終わるかもしれないという思いはずっと持っていた」。引退と隣り合わせのリハビリ。優勝争いのチームに貢献したい一心で乗り越えた。
 心は折れなかった。支えとなったのが2つの出来事だった。日本に一時帰国中の7月28日。直腸がんで同15日に亡くなった石田文樹氏(享年41)宅を訪れた。取手二高時代の84年夏の甲子園で投手として桑田、清原を擁したPL学園を下し優勝した石田氏とは横浜入団以来の付き合い。「お線香をと思ったんですけど、遺骨がまだあって…」。夫人からは、石田氏が闘病中も現場復帰に執着していたことを聞かされ、胸が熱くなった。
 もう一つは8月7日。心臓移植手術を受けるためロサンゼルス市内の病院に入院していた千葉県出身の少年と対面した。「僕が行った日は凄く調子が良かったみたいで、ベランダでキャッチボールをしたんです」。希望のこもった少年の1球から長いリハビリを乗り越える勇気をもらった。
 切れたじん帯は元に戻らない。再発の危険もある。「やれるかどうかなんてやってみなければ分からない。自分で答えを出すしかない」。引退危機を乗り越えた斎藤は、ド軍を20年ぶりの世界一に導くために帰ってきた。

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2008年9月17日のニュース