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【コラム】海外通信員

バルサのソシオになっての25年間

[ 2012年1月19日 06:00 ]

カンプノウ・スタジアムで行われたソシオ25周年記念授賞式で表彰される筆者
Photo By 提供写真

 昨年2011年11月中旬にバルサのクラブのソシオ(=会員)事務所から一通の手紙を受け取った。開けてみると、何とそれはバルサのソシオ25周年記念授賞式の招待状だった。すっかり忘れていたが、気がつけば私は86~87シーズンからバルサのソシオになって今シーズンで25年が過ぎていた。

 今でこそ私の席は南ゴール裏の座席指定だが、私がソシオに入った当時は未だ両方のゴール裏に立見席があった時代で、私はバルサの練習を見に行って知り合ったスペイン人の友達と同じ南ゴール裏の一番値段の安い立見席ゾーンに入った。バルサのソシオといっても実は2種類あり、ソシオ・コン・アボノ(年会費+当時の立見席ゾーンを含む、座席を持った会員)とソシオ・シン・アボノ(年会費だけで座席を持たない会員)だ。現在、バルサのソシオ総数は約16万人で世界一を誇っているが、余りにもソシオが多くなりすぎてしまい、座席指定を希望するソシオのウェイティングだけでも約8,000人にもなったため、2010年11月以降にソシオプランの変更を行って3つの条件(1.2親等以内の家族にソシオがいる人、2.14歳未満の子供、3.かつて2年以上ソシオだった人)を満たす人しか入会ができなくなっている。

 バルサは、レアル・マドリード、ビルバオとともにソシオの会費でクラブが運営されており、ソシオだけが会長に立候補できる権利を持ち、ソシオの投票で選ばれるだけあってソシオは権力が強く、尊重されている。また、バルサのスローガンは“クラブを超えた存在”であるが、その特徴の一つはソシオが口煩いことでも有名だ。そして、ただ勝つのではなく、常に攻撃的でスペクタクルなサッカーで勝つバルサのサッカー哲学がクラブの真底にあるのは、選手たち以上にソシオがそれを強く望んでいるからだ。

 11月25日にカンプノウ・スタジアムで行われたソシオ25周年記念授賞式で表彰されたのは約500人だったが、家族や友人を招待して良かったので約2,000人も集まった。表彰者の中にバルサのトップチームのジェラール・ピケの祖母とお母さんもいたが、自分の意志ではなく、生まれた時から親の希望でバルサのソシオに入会したであろう25歳の人もいて、様々な年代の老若男女でとても賑やかだった。カンプノウ・スタジアムのメーン1階席に皆で座って、試合でいつも選手紹介や交代選手のスタジアム放送を行う名アナウンサーから名前を呼ばれると、家族、友人と一緒にフィールドに降りていき、クラブの幹部陣から各々ソシオ25周年記念のクラブの銀バッジと認定感謝状を受け取った。

 その時に「過去に日本人でバルサのソシオ25周年記念の銀バッジを受賞した人はいましたか?」と聞いてみたが、誰もが「私が知る限り、あなたが初めての日本人です」と言われた。後にバルサのクラブのソシオ事務所に聞いてみたが、「はっきりとは言えないが、あなたが初めての日本人受賞者でしょう」と言われた。昨年12月に行われたトヨタ・クラブW杯の時にサンドル・ロセル現会長にも聞いてみたが、「あなたが日本人で初めてでしょう。私は他に誰も知りませんよ。長い間、バルサのソシオであってありがとう。これからもよろしく!」と握手を交わした。まあ公式ではないが、現在、約1,500人の日本人のバルサのソシオの中で、私がバルサのソシオ25周年記念の銀バッジと認定感謝状を初めて受け取った名誉ある日本人第1号となり、長くバルセロナに住んでいる一つの証となった。

 1899年に創立して今年で113年目を迎えるバルサは、その長い歴史の間で通算112タイトルを獲得したが、私がバルサのソシオとなってからの25年間で、その約38,3%に当たる43タイトルを獲得するのを見たことになる。

 私がソシオに入った動機は、単純にバルサに好きな選手が所属していたからだが、その一方で悲しくて辛く悔しい思いをいつか晴らしたかったからでもある。私がバルサのソシオに入ったその前年の85~86シーズンに、バルサは3冠の可能性がありながら、スペインリーグで2連覇を逃して2位となり、スペイン国王杯決勝で敗れ、さらにはセビージャで行われた欧州チャンピオンズ杯(欧州CL杯の前身)決勝で、ルーマニアのステアウア・ブカレストを相手に0-0の延長戦の末にPK戦で3-0と敗れて悲願の初優勝を逃した。これら3つの敗北のショックは言葉にできないほど大きなもので、いつかバルサが欧州チャンピオンズ杯に初優勝し、日本開催のトヨタカップ(トヨタ・クラブW杯の前身)で優勝して世界チャンピオンになるのをこの目で見たい思いでソシオになった。

 そして25年間を費やしたものの、その願いが全て叶った。91~92シーズンにヨハン・クライフ監督が率いる“ドリーム・チーム”で悲願だった欧州チャンピオンズ杯に初優勝、08~09シーズンにペップ・グアルディオラ監督が率いる“ペップ・チーム”でトヨタ・クラブW杯に初優勝、そして今季11~12シーズンの11年12月に3度目の日本開催のトヨタ・クラブW杯決勝で優勝を飾り、ようやく私の願いが全て叶った感無量の瞬間を直接この目で見ることができたのだった。

 現在、バルサは黄金期を迎えているが、バルサのソシオとなっての25年間は決して良い事ばかりではなかった。成績不振で通算10人の監督と5人の会長が換わり、5シーズン無冠時代や会長リコール騒動などクラブが揺れる時代もあった。しかし敗北を味わうたびに立ち直り、その屈辱や悲しみはいつしか何事にも負けない、打たれ強さに変わり、その教訓を生かして勝ち取った勝利は何とも言えない歓喜と満足感に変わることを知った。もちろん、私がフィールドで戦っているわけではないが、バルサのソシオは時にチームを厳しく批判しながらも、いつもチームを応援し続け、チームと一緒に戦ってきた自負心がある。バルサのお陰で人生、何事もあきらめずに希望と信念を持ち続ければ、多かれ少なかれいつか報われることを悟った25年間でもあった。今後、時が流れ、選手達が変わっても、常に攻撃的でスペクタクルなサッカーで勝つバルサのサッカー哲学が存在する限り、バルサに飽きることはないだろう。(小田郁子=バルセロナ通信員)

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