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三遊亭円歌さん死去 88歳 テレビ創生期に三平、円楽らと落語人気支える

死去した三遊亭円歌さん
Photo By スポニチ

 戦後の寄席復興に尽力し、「授業中」「中沢家の人々」などの新作落語から古典落語までこなす“爆笑王”として幅広く演芸ファンに愛された落語協会最高顧問の三遊亭円歌(本名中沢円法=なかざわ・えんぽう)さんが23日、死去した。88歳。東京都出身。葬儀・告別式は未定。5月にも高座の予定が入っており、入退院を繰り返しながらも最後まで現役を貫いた。

 関係者によると、円歌さんは23日の昼ごろに自宅で容体が急変し、都内の病院に救急搬送されたが帰らぬ人となった。今年に入ってから寄席を度々休演するなど入退院を繰り返していたとみられる。昨年末から1月にかけて、高座を終えると緞帳(どんちょう)が下りてから、弟子に支えられて舞台袖に向かうなど体調が優れなかった。周囲には「声がよく出ない」とも話していた。

 昨年11月に亡くなった3歳上のフリーアナウンサー・小川宏さんとは幼なじみ。当時は「今は足が動かなくて。年をとるのはいやだね」と笑い交じりで話していた。

 元々は国鉄職員で、戦時中に空襲に遭っても寄席に通うほど落語好き。終戦後に2代目三遊亭円歌に入門した。親の反対を押し切って進んだ道だったが、最初の10年は戦後の混乱期でファンも寄席には寄りつかなかった。そんな崩壊寸前の落語界を救ったのが当時「三遊亭歌奴」と名乗っていた円歌さんと、5代目三遊亭円楽さん、初代林家三平さん。テレビ創生期の演芸番組に出演し、円歌さんは「山のあな、あな」で有名な新作落語「授業中」などで大人気となり、寄席に客を戻した。

 テレビでも人気者となったが落語へのこだわりは強かった。初期「笑点」の大喜利メンバー(69〜70年)で「落語なのに何で6人でやるの?」と疑問に感じ辞めている。

 型破りな面もあった。56歳の時には東京・本所の日蓮宗本法寺で得度と剃髪(ていはつ)式を行った。「昔から憧れだったんだよ」と話し、その後には僧侶として史上初めて高座に上がった。ほかにも落語界史上初の女性真打ち・三遊亭歌る多(54)を育てた。

 1980年代後半には身延山(山梨県)の寺で修行した時に心筋梗塞で入院。その後、胃がんを患ったことを明かしていた。2000年12月には胃の3分の2とポリープを摘出する手術を受けたが、大好きなお酒をやめることもなかった。

 空襲で戸籍が消失し、提出し直した祖母が間違えたため本当は88歳だが、戸籍上は85歳。5月27日には東京・三越劇場で「米寿を祝う会」を予定していた。最後まで現役にこだわった落語人生だった。

 ◆三遊亭 円歌(さんゆうてい・えんか)本名中沢円法(なかざわ・えんぽう)。1929年(昭4)1月10日、東京都墨田区出身。45年に2代目三遊亭円歌に入門、前座名は歌治。48年に二つ目に昇進し、2代目三遊亭歌奴と名乗る。58年に真打ち昇進。70年に3代目三遊亭円歌を襲名した。71年、「三味線栗毛」で文化庁芸術祭優秀賞受賞。85年に得度し、法名は本遊院円法日信。92年浅草芸能大賞受賞。落語協会では87年に副会長、96年に会長就任、06年から最高顧問を務めていた。

[ 2017年4月24日 05:30 ]

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