海老蔵 最期に贈った「この世の思い当たる言葉すべてを」

[ 2013年2月5日 06:00 ]

市川団十郎さんの自宅前で会見を行う市川海老蔵

市川団十郎さん死去

 海老蔵は父をみとってから一睡もしないまま4日午前8時半、父の自宅前で報道陣に対応した。昨年12月に「おじさん」と慕う中村勘三郎さんを亡くしたばかりで「歌舞伎界にとってまた大きなことが起きてしまった」と強調。涙をこらえるようにグッと目を見開いた表情は、父への誓いの“にらみ”にも見えた。

 【市川海老蔵一問一答】

 ――どのような闘病生活だった?

 当初は肺炎。大きな病気を2回ほど患っていたので、その部分も関係して免疫力が下がっていた。感染症と言いますか、非常に弱い状況だった。白血病の気配があったり、最終的にはいろんなものが重なった。1月19日から肺の状況がよくなかったので寝ながらの集中治療を選択した。その方が酸素が体に行き届く方法としては良いというお医者さまの判断があったので。比較的順調だったけど、突然のことで家族も驚いている。

 ――突然の訃報?

 3月に予定していた公演はお休みをいただき、4月の新しい歌舞伎座での公演へ向けて回復に向かっていた。家族としても受け入れ難い。歌舞伎界にとっても(勘三郎さんの訃報に続き)また大きなことが起きてしまった。

 ――どのような父親だった?

 自分の場合は自分を率先的に考えてしまう。父はみんなに平等に光を与えてくれた。たまにジェラシーを感じるぐらいでした。

 ――自身が苦しい時に矢面に立ってくれた。

 父の子に生まれたからこそ僕がいられる。(涙をこらえ)本当に感謝。

 ――愛を感じた時は?

 いつもでした。父は早くに父を亡くしている。大変なご苦労があった。そういう苦労を息子には味わわせたくなかったんでしょう。

 ――最後に掛けた言葉は?

 この世にある、思い当たる言葉すべてを。

 ――2人の孫を授かり親孝行できたのでは?

 (本名の孝俊に)親孝行の孝の字がついてるんですが、全然親孝行できませんでしたね。草葉の陰で見てくれるのであれば、その時親孝行できるんじゃないか。

 ――心に残る言葉は?

 意外と無口。稽古場ではああだこうだおっしゃってましたけどね。1月の浅草公会堂の5演目を全部ビデオで撮って父の病室に持っていった。普段は褒めてくれないんですけど、まあまあ…。(その光景を思い出すようにうなずく)

 ――今の心境は?

 やっと解放されたという思い。大変だったですよ。父は笑顔で闘われて逝った。母や妹、私の方が神妙な面持ちだった。

 ――母親の様子は?

 そこを心配している。妹、父の妹は悲痛ですね。

 ――これから大きな責任があるが。

 全く至らないが、父の思いを少しでも受け継いでいけるよう歌舞伎にまい進して、精進していくようにしたい。

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2013年2月5日のニュース