海老蔵 団十郎さんと最初で最後の映画共演果たしていた

[ 2013年2月5日 06:00 ]

市川団十郎さんの自宅で会見する市川海老蔵

 歌舞伎俳優の市川団十郎さんが肺炎のため66歳で死去してから一夜明けた4日、長男で歌舞伎俳優の市川海老蔵(35)が都内の自宅前で会見した。「父の子に生まれたからこそ、僕がいられる」と感謝の思いを涙をこらえながら語った。また、団十郎さんが昨年末に倒れる直前、海老蔵と映画撮影で最後の共演を果たしていたことが分かった。この初の映画共演が遺作になった。

 海老蔵はこの日午前8時半過ぎ、自宅前で会見。まぶたを腫らしながらも涙はこぼさず、家族でみとった時の様子や団十郎さんの愛情の深さをしっかりとした口調で語った。

 3日朝は成田山新勝寺(千葉県成田市)の豆まきに参加。「その時は(団十郎さんは)元気だった。突然でした」と明かした。家族全員でみとることができたといい、最期の時「この世にある、思い当たる言葉全て」を掛けたと説明。「闘病生活を終えてホッとした表情でした」と話した。

 自宅の稽古場に安置されている遺体は紋付きはかま姿。お家芸「助六」の小道具である脇差しが守り刀として遺体の上に置かれているという。

 3月には妻でフリーキャスターの小林麻央(30)との間に第2子が誕生する。跡取りとなる男の子と分かっており「父が今までになく喜んでいた。一緒に舞台に出たかっただろうし、抱きたかっただろう」と涙を必死にこらえながら話した。

 団十郎さんが倒れる直前の昨年11月下旬から12月上旬には、京都で映画撮影に一緒に参加。海老蔵が主演する「利休にたずねよ」(12月公開)に師弟役で共演した。

 初の映画共演となったこの作品が、団十郎さんの遺作となった。歌舞伎だけではない父の役者としての力を目の当たりにし、これから自分が精進していくべき道をあらためて確認した。

 団十郎さんは父親を亡くしてから20年で、歌舞伎最大の名跡を襲名した。すでに人気、実力、存在感は歌舞伎界でも屈指の海老蔵。心配された品格も暴行事件以降はしっかり備わってきた。歌舞伎関係者は「海老蔵が団十郎を継ぐのは確実。早ければ50歳前に襲名するのでは」と話している。

 通夜は5日、葬儀・告別式は6日、いずれも近親者のみの密葬で営まれる。

 ◆市川 団十郎(いちかわ・だんじゅうろう、本名堀越夏雄=ほりこし・なつお)1946年(昭21年)8月6日、東京都生まれ。江戸歌舞伎の名門、市川宗家を継ぐ十一代目団十郎の長男。53年に市川夏雄を名乗って初舞台を踏み、58年六代目新之助を襲名。69年に十代目海老蔵を襲名。坂東玉三郎との「海老玉コンビ」で人気を博した。85年に十二代目団十郎を襲名。市川家の家の芸「勧進帳」の弁慶や「助六」「鳴神」で豪快な魅力を発揮。07年にはパリ・オペラ座初の歌舞伎公演。歌舞伎のほかにもNHK大河「元禄繚乱」などドラマでも活躍。88年度日本芸術院賞、98年度芸術祭優秀賞、07年紫綬褒章。屋号は成田屋。

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